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ミスター・ノーからの紹介(1)
「今後この人のことミスター・ノーと呼ぼう」と会社のEさんがいいました。わたしのところに電話かけてきた時に「フーズ、コーリング、プリーズ(どなた様ですか?)」と聞いたEさんにかれはノーと応えたからです。せっかちな彼は名前を名乗る時間ももったいないというふうでした。 米国人30代半ば、日本人を奥さんとしている。 有名会計事務所に勤務したのち独立しヘッドハンティング会社の社長をしている人です。日本にすでに10年以上住んでいます。
外資系資産運用管理会社のTさんがアカウンティングマネジャーを急いで必要と知っていた私はMr. ノーに誰か優秀なひとはいないだろうかと聞きました。社長のGさんはヘッドハンティングの業者間での協力を歓迎していませんが、いろいろなことで協力ができるであろうとMr. ノーからはGさんに過去何回かアプローチと提案がありました。 私はMr. ノーがもと会計事務所に勤務されていてヘッドハンティングも財務、経理、税務等の分野に強いのは知っていましたがさほど期待していたわけでもありませんでした。
それは朝からとても暑い日でした。 オフィスに入ろうとしていた私に声をかけた人がいました。 BMWから降りてきたMr. ノーでした。 汗をふきふき彼は手にした履歴書を私にくれました。 候補者のRさんでした。30代後半、米国CPAをもち日本系の会社の経理部勤務がながくその後ヨーロッパ系の有名ファッションの会社でチーフアカウンタントをしていました。Mr. ノーによるとRさんは現在の会社で不満をもっているといわれました。 Rさんの上司のアカウンティングマネジャーが辞職してRさんが代理をしてすでに何ヶ月も経過しているのに自分をマネジャーに昇進させてくれない。部下を4人管理しているがその4人ともあまり優秀ではないというのが不満の理由でした。
わたしはTさんにRさんの経歴書を送りました。後で誤解されるのを避けるため私は正直にTさんにRさんは他の業者より紹介された方であるとあらかじめ報告しておきました。Tさんは1次面接をすぐに希望されました。 幸運なことにRさんはH社に応募することを希望されました。H社は創立されたばかりで会社案内もまだできておらずTさんからもらったものはワープロで会社概要を簡単に箇条書きしたものでした。 しかしMr.ノーはインターネットで検索したのかH社が創立されたときのプレスリリースを英文でしたがRさんに渡したようでした。
Rさんは1次面接を合格しました。 「実務の方はとくにUSA GAAPは大丈夫なのでしょうか?」と私はTさんに面接結果を聞きました。 Rさんは日本系の会社に長く勤務していたのとその後はヨーロッパ系の企業に勤務されていたからです。「大丈夫でしょう、米国CPA(公認会計士)ですから」とTさんは余裕をもって答えられていました。 Rさんも1次面接の結果H社に興味を持たれたことを確認しました。
2次面接が行われました。幸運なことにRさんの勤務されていました会社とH社は近くにありました。 勤務時間外での面接の時間調整もさほど苦労せずできました。案件の進行がK先輩のよくいわれる「トン、トーン」とすすみました。K先輩は「案件がうまくいき決定にいたるには話はトン、トーンと進む」といつもいっています。いよいよ2人目決定でしょうか?
<ヘッドハンターからのアドバイス>
K先輩がある候補者の面談から帰ってきました。 K先輩はその方の経歴書から携帯電話関連企業の新しいプロジェクト、カントリーマネジャー候補としていました。「どうでしたか?」という私の質問にK先輩はその候補者が外国からきた上級管理者との面接で積極性がだせるかどうか心配していました。その積極性が採用決定の鍵であることをKさんは固く信じていました。
Kさんの今までの経験では候補者の多くが面接で「日本市場ではこういう問題がある」と問題点をあげるのだそうです。それが積極的に自分を売り込むために説明するのでは良いのですが、多くの場合、日本市場は難しいという<言い訳>に聞こえるのだそうです。Kさんはきっぱりと明言しています。「外国にいる上級管理者に日本市場の特異性のこういう事もわかってもらわないと困る」という<いいわけ>をいう前に自分は機会をもらえばこういうことができる「私に任せなさい」と面接ではっきりいうのが採用される決め手です。
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ミスター・ノーからの紹介(2)
「RはCEOのA氏に会えて大変喜んでいた。H社からオファーがでたら喜んで入社するよ」こうMr.ノーは2次面接をおえたR嬢のコメントを非常に肯定的に私に伝えました。 米国人のヘッドハンターは候補者をまるで家族かすごく親しい友人のように名前を呼び捨てにするのだなと感心しながら私は聞いていました。H社のTさんにそれを報告するとTさんもA氏の点数も良かったという返事がありました。
TさんからR嬢の入社日、年俸の希望を聞いてください。という質問がありました。 「やった! とうとう2人目の決定者ゲット!」と思いましたがそうは簡単ではありませんでした。 Tさんの提案は彼女の過去の経歴と現在のチーフという職責を考えてアシスタントマネジャーで採用したい、入社後努力してもらい短期間でアシスタントマネジャーからマネジャーに昇進してもらうような形にしたいがどうだろうか?という打診がありました。わたしはTさんのアイディアに賛成でしたRさんのインセンティブにもなるし、採用者側からすればRさんの実力を実際みてからマネジャーにするのでリスク回避ができるからです。
Mr.ノーから入社日はTさんも急いでいるから早くすることに同意するその代わり特別休暇を後日でいいから何日かあげて欲しい。 Rさんはマネジャーのタイトルに固執しているので入社時にマネジャーにして欲しい。 もし彼女が期待通りのマネジャーでなければ、後日彼女の上司にシニアマネジャーを採用すればいいのではないか? という提案でした。 さて肝心の年俸だが800万円は最低保障してほしいが希望金額をいわずTさんのオファーがいくらなのか先に聞きたい。 あと入社日の関係で現在の会社でボーナスを規定どおりもらえなくなるので保障して欲しいというものでした。
今回のケースは採用側のH社と候補者のR嬢の間に私と違う会社のMr.ノーが存在する複雑なものでした。それもMr.ノーと私、R嬢とMr.ノーの間は英語によってコミュニケーションされていましたのでそれにより一層複雑になり解釈も微妙に違うのではないかと懸念されました。特にアシスタントマネジャーで入社し後日の昇進という提案わたしはTさんを信用しますが、Rさんとはやはりヘッドハンターが間に入らず直接話してもらった方が得策だと思いました。
Mr.ノーはTさんからオファーレターを私が入手すれば自分がRさんから受諾のサインはもらうのは簡単という勢いでした。オファーには入社予定日、年俸860万円、タイトルはアシスタントマネジャー、現職の会社からもらえない分のボーナスに関しては保障するというものでした。しかし特別休暇の支給はありませんでした。 わたしの提案が通りTさんとRさんが直接会うことになりました。
RさんがTさんの会社で面談の約束がとれると面談が上手くいきその場でRさんがサインして「メデタシ、メデタシとなる」などと良いほうに想像していましたが、Tさんからの電話では違いました。 RさんはMr.ノーにそんな早い時期の入社日をオーケーなどと約束していないと怒って「少し考えさせて欲しい」といってオファー受諾のサインはしないで帰られました。
K先輩のいう「話が<トン、トーン>とすすむ案件は成功する」というところから随分かけはなれたところまできてしまいました。駄目かな?と思われたこの案件は結局TさんとRさんのその後の直接話し合い、入社日を遅らせるというTさんの譲歩により決定しました。 ヘッドハンティングをはじめて一人目に続き二人目の決定、まだまだ手探りの状態、決定には至ったものの後で振り返ると違うほうに結果がいったとしても不思議でないような案件でした。採用者のTさんも入社を受諾したRさんも両者が「ハッピー」になりますように祈っていた私にはそのとき6ケ月後にTさんとRさんになにが起こるか想像できませんでした。
それは次の機会にお話しましょう。
(ヘッドハンター業界の話)
今回自分のヘッドハンターとしての役目はなんだったろうか? Mr.ノーに誰か優秀な人はいないだろうか?とクライアントの名前を紹介、ポジションを紹介しMr.ノーからRさんの経歴書を入手してTさんに紹介したところで役目は終わったのだろうか? あとは面接のアポイントメントそのフィードバック、条件交渉の仲介をしたのだけれどコンサルタント料(成功報酬)をもらうだけの仕事はたしてしたのだろうか? ニューヨークに住んでいる米国人で東京のヘッドハンティングの仕事をしている方がいます。 電話だけのコミュニケーションでよく商売になるなと思いますが、候補者の方に聞くとそのコンサルタントは面接日の設定など、候補者の都合など事前に聞かずにかなり強引に話をすすめるようです。優柔不断な候補者の場合押しの強いヘッドハンターが重要な役目をする場合も確かにありますが、最後の判断はやはり候補者自身になるのではないでしょうか?
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「ヘッドハンターの方に勧められまして会社を変わりました。」そうRさんは私の面談で答えられました。つづけて「今振り返ると転職は間違いでした。」こういう話はめずらしくありません。必ずしも転職が成功への道につながらないからです。人生違う道を元に戻ってやり直せないので前の会社にとどまっていても今のようなサラリーマン受難の時代なにがおこったかわかりませんが、Rさんの勤めていた外資系企業が他社に身売りしたためRさんは失業してそう判断されていました。
日本系企業の製薬メーカーで開発の仕事をスタートにしていたRさんとは面談のさい話が弾みました。バイオテクノロジーで造血製剤を開発し生産に携わっていたRさんの製品に私が少し知識をもっていたからです。前職の重要顧客の一社がRさんの勤務されていました会社のライバル企業で同じ製品を違うバイオテクノロジーで生産していたからです。Rさんは獣医さんでした。大学の教授にも依頼され研究室に何年かおられました。
製薬企業から、医療器具メーカーへ転職しその後再転職して外資系動物薬メーカーに勤務されていました。医療器具メーカーでは製造許可を取得する仕事、製品の品質管理、品質保障の仕事、動物薬ではマーケティングの仕事もされていました。 私は正直にRさんの巾広い経歴に「よい経験をなされましたね」と面談中にいいました。同じ会社で狭い製品群で薬事の仕事のみを長年やってきた方と比較してRさんのいろいろなご経験が上級職に着かれた時に必ず役にたつと思ったからです。
Rさんは40代前半で独身でした。おとなしい話し方で外資系社員特有の<人を押しのけてまでなりふり構わず貪欲に出世していく>タイプとは違っていました。会社をいくつも変わっていること教授に依頼され研究室で研究を手伝っていた期間も就職しないブランクのように経歴書にはマイナスにかんじられていました。そのためでしょうか、わたしとの面談後、イーメールで面談が楽しかったこと、わたしのコメントで勇気づけられましたとお礼を送ってくれました。
ヘッドハンター一年生の私は面談後に心のこもった礼状を頂いたのは初めてでしたので私の方こそ人のお世話ができるかも知れないと「勇気づけられました」
外資系医療器具メーカーのB社長は私のことと弊社G社長を長年知っていましたので、わたしがG社長のもとでヘッドハンティングの仕事をはじめたのを知り私をG社長とともに激励のため夕食に招待してくれました。六本木交差点の近く和食のレストランで夕食をいただいた後はG社長がお礼にB社長を近くの店にさそいました。
G社長はジャズを歌うのがすきでしたのでいった店にはピアノがあり歳とった男性ピアニストがいてママと若いホステスさんがジャズを歌っていました。 G社長は70曲あるといわれるレパートリーのなかからいつもながらの軽いのりで2曲歌いました。 B社長の演歌、ポップスもお世辞抜きに<玄人はだし>ですがこのときはポピュラーを我々のリクエストに答え英語で歌ってくれました。席にいたボサノバを上手くうたったホステスさんがB社長の歌い方は「歌心がある」とほめました。
B社長は弊社G社長のヘッドハンティングは高いポジションをリテーナーベース(人事顧問料先払い)でしかやらないとご存知でしたから、後日わたしは夕食のお礼の手紙に「わたしは低いポジションでもコンティンジェンシー(成功報酬型)でお受けしますのでご用命よろしく」と書きそえました。その結果薬事部長の案件の仕事をいただきました。
私は早速Rさんに連絡しました。その薬事部長の職責には薬事申請の仕事の他に製品の品質管理と医療器械修理の社員管理も含まれていました。Rさんの反応は「私には荷が重すぎる」というものでした。しかし私はRさんを勇気づけて応募に承諾してもらいました。
<結婚のこと>
Rさんは40代前半で独身です。わたしのお会いしたかたの中には2回離婚され今の奥様が3人目という方もおられましたが、面談での対応はいろいろです。独身を気にされるかたもいます。わたしの先輩のBさんがある独身の候補者にその質問をしますと「それが就職となにか関係あるのですか?」と怒られた経験があります。離婚を経験されていて、「いや実はバツいちなんですよ、就職に不利になりますかね?」と懸念される方もいます。外資系企業のTさんは採用のとき「仕事能力優先ですプライベートのことは問いません」といいます。
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違った価値観(2)
その外資系医療器具メーカーのオフィスは都心のJR駅から私鉄で15分ぐらい乗った駅に隣接したビルの中にありました。 改札口からすぐ綺麗なショッピングセンターにつながり駅ビルの案内版にはIT関連の有名企業の名前がいくつかならんでいました。 オフィスビルの入り口まではビルにかこまれた中庭のようなところにでます。植えられた木々に囲まれた池、ベンチの配置された光景は米国、カリフォルニアの都市のなかにあるオフィスビルによく似ており一瞬外国にいるのかと錯覚する感じでした。
その会社ではカジュアルスタイルが会社のルールになっておりわたしが初めて訪れたときは人事部長、課長ともカジュアルスタイルでした。部長は明るい感じの方で歯切れよい言葉でポイントを明確に話す方でした。ヘッドハンターの私に人事顧問料の一般社員、営業社員をリクルートした場合と上級職、専門職の違いを説明し、今回の薬事の案件以外に優秀な若い営業の人を紹介して欲しいと言われました。異業種の営業職の候補者でも社内の優秀な教育システムでトレーニングするので医療業界の経験がなくても問題ないと強い自信をもって説明されました。
その部長にRさんの1次面接の結果を聞きました。「残念ながら不合格です。」 部長はいつもの歯切れのよい口調で結果を教えてくれました。わたしはRさんが人事で行う1次面接には合格すると思っていましたので不合格の理由をお聞きしました。 「Rさんはご経歴から非常に魅力ある方でこちらも期待していた方ですが、面接中にご本人の口から部長職は自分には荷が重いと言われてしまいましたので仕方なく不合格でした。」というものでした。私はRさんが私にいった同じ台詞を面接時にいわれたのにはびっくりしました。
しかしヘッドハンターが一度や二度「貴方だったらできます」などと励まして面接にまでこぎつけてもやはりご本人にその気がない場合無理なのだなと悟りました。 私はもちろんRさんが面接に失敗したことを残念に思いましたが、 後でRさんと話すとき「Rさん面接の時にそんなこといっては駄目ですよ!」とはいえませんでした。
面接はどうでしたかという私の質問にRさんは、「多分駄目だったと思います」といわれました。「部下の管理方法などの質問にはSさんからお聞きした、権限委譲型でやるとすらすら答えられましたが、もしご縁があり入社した場合に会社にたいしてどんな貢献ができますか? という質問には答えを用意していなかったので上手く答えられなくなり答えにつまってしまいました。」というものでした。私の想像では、答えに窮したRさんは思わず本音の「私には部長職は重すぎる」という発言になってしまったのでしょう。
わたしはRさんの件で二通りの考えをもっていました。一つはクライアントと同じ考えで「やはり部長職になられる人にはそれなりの自信がなければ出来ないでしょう。 Rさんが運良く入社したとしても、入社後会社にまた部下の人にも迷惑をかけたのではないでしょうか?」という考えで二つ目は「いや薬事という専門職だからRさんの専門知識と過去の経験、誠実さ、勤勉さがあれば無難にこなせたのではないか?」というものでした。
Rさんは日本系の企業で薬事課長を現在勤められておられます。年俸は外資系の同じポジションからすると20%から40%低いと思います。Rさんにとって本当はどちらが幸せだろうか? いまでも私には明確な答えを出せずにいます。
<違った価値観 ―――― K先輩の話より>
Rさんの選択する職種と現職の比較特にその年俸の違いと同様の話をK先輩から聞いたことがあります。K先輩が外資系製薬企業からMBA(経営学修士)取得者をリクルートしてほしいと依頼を受けたときです。 その方は東大を優秀な成績で卒業され米国スタンフォード大学でもやはり優秀な成績でMBAを取得されています。現在ある大学で教授をされています。同時にいくつかの大学から依頼され客員教授をされています。
K先輩がその方にアプローチをして外資系製薬企業をお勧めしました。その企業では年俸2,000万円以上をオファーできますし、K先輩によればその方であれば外資系企業の管理者でまちがいなくそれ以上の年俸を取れるとのことでした。その方の現在年俸は約1,200万円でした。 しかしK先輩が外資系企業への転職をお勧めしましたがその方は受けられませんでした。「外資系企業にはいきたくない、現在の仕事、現在の年収でハッピー(幸せ)です」ということでした。 人にはそれぞれの価値観をもっているというケースでした。
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芝公園のホテルのロビーにあるコーフィーショップで私は友人のMさんと候補者のLさんを待っていました。 ロビーは何時になくパーティー開催を待つ大勢の人で混雑していました。年配の男性が多くサービス業の女性と想像される綺麗に着飾った人たちもいました。私のすわった席の近くにもグループで談笑しながらタバコをすっている一団がいました。どのような人達のグループなのだろうか?と疑問をもって見ていますとホテルのロビーを相撲力士が何人かに大きな声で挨拶をしながら横切りパーティー会場に入りました。その夜はある相撲部屋の力士を励ます会だったのです。
時間より少しおくれてMさんが少し小柄の女性を連れて現れました。ロビーには人が溢れていましたのでわたしがコーヒーショップで立ち上がり手をあげて合図したにもかかわらずMさんはそれに気がつかず周りを見回して私を探していました。 すると連れの女性が私に気がつきMさんに知らせました。友人のMさんは私が重要クライアントF社の税務のスペシャリストを探しているのを知ってLさんを紹介してくれたのです。
Lさんは英文の経歴書をわたしにくれました。 日本系の企業の社長秘書をしていて社内結婚、家庭に入りましたが4年間のブランクのあと有名な外資系会計事務所にスタッフとして入社し8年間努力の結果シニアマネジャーになられていました税理士でした。その英文の経歴書はMさんのアドバイスもあったのか簡潔に1ページに良くまとめられていました。
小柄な女性で黒のスーツがよく似合う日本的な方でおとなしい話し方をした落ち着きのあるLさんでした。 外資系に8年間も勤務されていたとはおもえないどちらかというと控え目の態度でした。 部下思いのマネジャーのようで現在の会社で忙しいときに残業で真夜中の1時や2時まで若いしかも女性の部下が勤務することに疑問を感じているようでした。しかしLさん自身そういう苦労を乗り越えてシニアマネジャーまで昇進した我慢強い人ではないかと思いました。
税務経験、歳、英語力とF社の希望する候補者にぴったりでした。先輩のコンサルタントのKさんは優秀な人と面談すると「うれしくなって興奮する」といいますが、わたしも同様です。F社の採用基準のバーはかなり高く設定されていますのでLさんが簡単に合格するとは思っていませんでしたが、書類選考に合格し間違いなく面接の試験でも善戦されるという予感がヘッドハンターの一年生の私でも感じられました。
ヘッドハンターとして採用されるかどうかはともかくLさんのような優秀な方をF社に推薦することはそれだけで良い実績となると思いましたが、二つの懸念がありました。Lさんが面接をする方、直属の上司と肌があうか?英語ではよく「ケミストリーがあうか?」といいますがそれがかなり重要かなと思いました。もう一つは少し控え目のLさんをF社の人が積極的でない人と評価して点数を低くするかという懸念がありました。
私は面談の間にそのケミストリーが合うかどうかという事が採用の重要なポイントになる場合もあると言う事を正直に説明しました。控え目のところの対処としては友人のMさんの紹介ということもあり遠慮もなく面接時にF社のひとからLさんの将来のキャリアーゴールを聞かれたら「どのくらいの期間がかかるか不明ですが経理部長になる事を目標にします。」と答えられたらどうでしょうか?とアドバイスしました。
面談の後3人で夕食をとりました。ホテルにある中華料理でセットメニューをたのみました。いつもはそんなにサービス精神のある私ではなく料理をシェア-する時も勝手に自分の物を小皿にとりさっさと食べるのですが、この時は気を使いLさんとMさんのものを先にとりわけ渡した後自分が食べました。Mさんと二人であれば食べるスピードも私はかなり早いのですが、このときはLさんのペースに合わせました。「やればできるじゃない!」とこの場にもしわたしのカミさんがいたら私に向かって言うだろうなと思いました。
翌日F社の人事部のMさんに電話をしました。同時に推薦文をつけてLさんの英文経歴書を送りました。F社よりすぐに面接希望の連絡があると思いましたが意外と時間がかかりました。 しかし面接希望の連絡がこちらから質問する前のタイミングでF社よりありました。いよいよ1次面接です。
<候補者のキャリアーゴール>
K先輩担当の外資系製薬メーカーは面接で必ず候補者のキャリアーゴール(将来の経歴目標)を聞きます。そこで候補者のもつビジョン、積極性をチェックします。 K先輩は先日あまり積極性をみせない候補者にそれをアドバイスしました。答え方をコーチしたのです。 もちろんそんなことだけで合格はしないのはK先輩「百も承知」ですが、候補者の中には面接を受けるときにヘッドハンターが「どうしても受けてください」と頼んだので面接を受けにきてやったのだという態度で臨むかたもいます。もちろんその態度では合格する事はまずありません。
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深海の美しい貝(2)
LさんにはI社までの地図を送りました。 面接の時他のアポイントメントがないかぎり候補者をクライアントまでお連するように最近はしていますが、そのときにはLさんに一人でいってもらいました。 I社の人事の対応は良く候補者が現職の場合面接は夕方に設定してくれます。 そして二つか三つの候補日をくれます。 クライアントによっては1次面接から昼の時間を指定して現職の候補者が休暇をとらなければならない場合もあります。候補者の方も夜どうしても7時以降の面接にしてくださいという方もいますし、面接社が上級職のかたであれば午前中の面接時間でも結構ですといってくださる方もいます。面接の設定がスムースに進む人のほうが良い結果になると思うのは気のせいでしょうか。
「人事のマネジャーの方、経理部長とお会いしました。会社の説明と職責をすごく丁寧に説明してくださいました。」というフィードバックをLさんから頂きました。丁寧な対応をしてくれた人事マネジャーはMさんだとすぐわかりました。Mさんの爽やかな笑顔と真面目な対応が浮かんできました。 経理部長は「結構うるさい人」だという社内の評判はかねてから聞いていましたのでLさんに対してどうだったか心配でした。採用側も応募者の第一印象を重視する人がいますが、応募者も会社の雰囲気と面談者の最初の印象を気にします。
「2次面接で人事部長と管理本部長(副社長)にお会いいただきたい」という依頼がきました。「やった!」やはりLさんだいよいよ2次面接、よほどの失敗がないかぎり採用までいくのではという感じがしました。それはLさんの能力、経験を1次面接で経理部長が認めたので2次面接はどちらかというと儀式てきなものではないかと思ったからです。 かなりの長い期間をかけてI社ではそのポジションを探していました。会計事務所の職歴あるいは国税に関連した経験があれば歓迎とあり1次面接でかなりの人数の候補者を経理部長が不採用にしていたと想像されました。
「人事部長、副社長ともに素晴らしいかたがたで、そのような管理者がおられる会社で勤務させてもらうことは有り難いです。」というまた理想的なフィードバックをLさんからもらいました。しかし2次面接のあとI社からの結果連絡がしばらくありませんでした。そんな時Lさんから連絡がありました。他のヘッドハンターから話があり別の案件に応募した事、Lさんの予想に反してその会社からLさんにオファー(合格の通知と採用条件)の知らせが来てしまったというのです。
私はLさんが二股をかけていたことをI社には知らせたくありませんでしたが人事部長に電話をかけLさんの都合があるので2次面接に合格したかどうか教えてもらうことにしました。 部長は約束どおり副社長と話し夕方までには2次面接合格の通知をくれました。上級マネジャー採用の場合なので3次面接で社長が合うことになるかもしれないという話しになりました。 ところが社長があいにく海外出張中ということでした。
I社の2次面接合格の通知だけではLさんが他の会社のオファーを断るのは無理に思えました。 紹介してくれたMさんに事情をはなすと「LさんはI社に魅力を感じていて今オファーの出ている会社には行かないのではないか」と私にアドバイスをくれました。 しかし周知の事実のとおり最終結果で合格通知をもらうまでは採用はどうなるかわかりませんのでLさんにとってオファーの出ている会社への返事をJ社採用を想定して断り後でJ社が不採用になった時は大変な迷惑をかけてしまうことになるのです。
海外出張先の社長の意向を聞いていただけることになりましたが、時間だけがどんどん過ぎていきました。 Lさんが他社に返事をする事を伸ばすのでも長くて1週間で10日過ぎると相手に失礼になると思いました。もう時間的にこれ以上のばすのは無理だと判断したわたしはJ社の人事窓口のSさんに事情を話しました。一日も早く社長に連絡して承諾をもらい内定書を文書で出していただく事をお願いしたのです。
人事窓口のSさんは迅速に対応してくれました。副社長より部屋までよばれ「Lさんにもエージェントの人にも社長にはまだ承諾をもらっていないが、必ず採用するからとよくいっておくように」と強い口調で指示された事まで教えてくれました。I社の規則にそった年俸の提示もファックスで事前に送ってくれました。 Lさんのような優秀な人をよその会社に取られたくないという考えが一致していると感じました。
待ちにまったファックスがSさんより送られてきました。 年俸の提案が入った採用内定通知書でした。 年俸の提示額は私が想像していたより低かったですが、入社後Lさんが努力して認められれば2年目には上がると思いそれほど心配はしませんでした。 Lさんからは入社承諾のサインをもらいました。 あとは身体検査の結果を待つだけとなりました。努力家で実力のあるLさん、一流企業であるI社とは最高の組み合わせでありヘッドハンターとして将来の懸念はありませんでしたので、その後3ケ月以内に起こったことなどその時点では思いもつきませんでした。
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深海の美しい貝(3)
I社の人事窓口のSさん身体検査をうける施設を教えてくれました。 一日も早くLさんの正式採用通知をもらうため通常に検査結果を待つのではなく病院の窓口で急いで検査結果をくれるように依頼してくださいとアドバイスをくれました。
今回のLさんのプレースメントにはいくつかの思いがありました。 もちろんヘッドハンターとして3人目のお世話ができたことの嬉しさでした。 I社のハードルの高さからこんな短い時間にプレースメントを成功するとは思ってもみませんでした。
二つ目は成功して喜んでいる私の陰にLさんから辞退され残念だと思っている別のヘッドハンターの存在です。 ヘッドハンターにとっては自分の推薦した候補者の方がクライアントからオファーをもらう事は仕事が99%終わったような嬉しい気分になるものです。特にキャリアーの浅いヘッドハンターにとってはそうです。 そこで候補者から入社を辞退されるのですから大変つらいことです。 特にその候補者が優秀な方でクライアントがどうしても採用したい人の場合はクライアントもかなりがっかりするからです。 私もあるクライアントでオファーのでた候補者に辞退されてしまった経験をしましたが、そのクライアントははっきりとわたしに「後味が悪い」といわれました。
三つ目はLさんがI社に入社後幸せになってくれるかどうかということでした。一流の会計事務所で8年間も努力されマネジャーになられていたLさんです。 Lさんのハンティングをたとえ話にするとヘッドハンターの私が深海に美しく育った貝(Lさん)を捕獲して別の環境におくように感じられました。私は懸念を振り払いましたなぜなら決定した会社が一流企業のI社であること、決定者が優秀なLさんだということ、わたしのお世話させていただいた他のプレースメントの例と比較しても安心だと考えたことです。
弊社G社長のアイデイアで決定者を「激例会」に接待するのが決まりになっています。この激例会はヘッドハンターにとって楽しいイベントです。私はさほどアルコールがいける口ではありませんが、就職決定をお祝いし新しい環境でのご活躍を祈ると言う性質の集いが楽しくないわけがありません。 Lさんを私に紹介してくれたMさんも「激例会」におよびしました。Lさんのポジションも高いものでしたから一流の和食レストランを選びました。サービスもよく料理の質も高い十分に満足のいくものでした。 日本酒の量も楽しい会話でいつもより増えました。
Lさんは面接を振り返って一つの話を私にしてくれました。 キャリアーゴールを聞かれたとき「将来私は経理部長になりたい」とは言わなかったというのです。 Lさんがおとなしい人のように感じた私はI社の面接をする方がそのおとなしさを「消極的」と感じるのではないかと思いLさんの「積極性」を出してもらうよにそのくらい言ってもいいのではないですかとアドバイスしていたのです。
就職した事は「そこから新しいスタートだ」ということ、(就職したことで完成ではない)新しい会社でのチャンスは「自分の想像しているよりはるかに超えることもある」(前職の経験でチャンスを小さく見積もると言うことはしない)という二つのことをわたしはLさんに伝え激励をしました。
Lさんの入社日前にI社で社員が集まる行事がありました。人事のSさんを通じて入社日前ですが社員に紹介する良い機会なのでもし時間の都合がつけばLさんも出席されませんかという提案がありました。 後で聞きますと管理本部長、人事部長も出席され非常に良い友好的な雰囲気で他の社員に紹介してもらったと言う事でした。「なんでも話せる雰囲気だった」というのです。さすがI社の流儀だな良い機会に新入社員であるLさんを皆さんに紹介してくれたなと感心しました。
Lさんが入社して1ケ月少し経過したある日わたしは「お仕事はどうですか?」とメールをだしました。 もちろん「お元気でご活躍」と思っていました。ところが全く想像もつかなかったメールがLさんより送られてきました。要点は以下のようでした。
●私の仕事の方はかなり厳しい状況です。
●商法監査に関連した仕事も、作業はボリュームがあるだけでやりがいがありません。
●決算や税務申告については、なにも知らない部下しかいないので頼むこともできません。
●入社3ケ月以内の退職者は相当数に上がるそうです。昨年2月に経理部に入ったマネジャーも8月には退職したそうです。
●せっかく紹介してくださったSさんには申し訳ないのですが、わたしも退職させていただきたいと思います。
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No.29
深海の美しい貝(4)
Lさんのメールをもらったわたしは驚きました。入社して1ケ月もたったかたたないかと言う段階で辞職を考えていると言う事です。わたしは相談しようと社長のGさんにLさんのメールを見せました。 もちろん「どのように対処したらよいか」なにか良いアイディアをもらおうと思ったのです。G社長の反応はあっさりしたものでした。「メールでここまで書いてくると言うのはもう辞職を決意してそれも固いんじゃないかな」まるで他人事のようなコメントでした。
先輩のKさんに相談したところ、「やはりお会いして話をお聞きするのが一番でしょう」ということで私もそうしようと思いました。 入社まもなくなので会社内の電話番号もまだ聞いていなかった私はI社のカスタマーサービスに電話してそこから経理部門のLさんをよんでもらいました。 社内の違う部門からまわってきた電話応対でけげんそうな声でLさんが電話口にでられました。
「メールをいただき驚きました。一度お話を聞かせてください」その日もLさんは忙しく夜10時以降ならということで会社の近くにあるホテルで待ち合わせを約束しました。 ロビーのラウンジは10時には閉まってしまいました。私は携帯電話をかけホテルのバーラウンジで待つ事にしました。夜景が綺麗にみえるそのラウンジではどのテーブルもカップルで占められていました。
Lさんがこられました。顔色は想像していたよりよく、げっそりやつれて疲れた感じで現れたらどうしようと思っていたので少しホットしました。 Lさんの話ではよく世間で聞かれる「入社時の話と現実が違う」という事でした。もちろんわたしは全てLさんの言われた事の真偽をI社の方に確認したわけではありませんが、以下のような事でした。
| 1. |
入社時に聞いていない購買支払いの責任も税務以外に持たされた。 その支払いの職責でLさんの直属部下となった方は50歳の男性でした。しかもその方はLさん入社までは在社年数の長いマネジャー職にあった方でした。 |
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| 2. |
部下はもう3人いて一人の女性の方はやはりLさんより10歳以上年上の方でした。残りのふたりは若い女性でした。 しかしこの4人のかたは決算や税務申告の知識経験が全くないといっていい人だったのでLさんが仕事を頼むことができませんでした。 |
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| 3. |
昨年の商法監査にかんするファイルが社内で明確になっていなく上司に聞いても的確な回答がない。仕事が時間との戦いで2週間休日返上で毎晩深夜まで勤務している状態にも拘わらず無駄な時間ばかり過ぎていく、もう待てないという段階で資料請求にいくとやっと少しずつでてくる状態だった。 |
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| 4. |
社内会議がやたらと多く、そこでは経費節減の掛け声ばかり多く、理屈をこねる人が多く、会議でお互いに攻撃しあう風潮にはびっくりもしまた閉口されたようです。 |
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| 5. |
そして入社まもないこの時期に財務グループから1名リストラするようにいわれているというのです。そこで早い時期に自分が意思表示をしないとまわりに多大な迷惑をかけることになるというのです。 |
どれもこれも業界でトップクラスのI社の話としては信じられないものでした。 しかしLさんは「自分にはI社のこの職責は合わないが、人によってはすごいチャンスを獲得したと張り切ってやられる方もいるかもしれない」といわれました。また私からは「I社は厳しいですよ」とお聞きしていましたが想像以上でしたともいわれました。
ご主人からは今回の件でなにかアドバイスをもらっていますかと聞いたわたしにご主人は「LさんのI社でもらう年俸の価値をLさんは理解していない」と怒った口調でいわれたということでした。 Lさんのご主人はやさしい人で会計事務所に勤務していたとき深夜まで仕事がつづくLさんの帰宅を考え都心のマンションを購入したという話を伺っていましたので、この件ではLさんもご主人の厳しい言葉に違和感をもったようで悲しい顔をして話されました。
Lさんの前職の会計事務所と現職のI社では一言でいえば職場のカルチャーが違うということ、Lさんの性格、価値観ではI社とは適合しないと言う事が感じられました。 「石の上にも3年というではありませんか? もう少し頑張ってみませんか?」などととても言う雰囲気でなく夜も11時をまわりましたのでタクシーで近くの駅まで送りました。
駅のホームでLさんを見送ったあと、やはり深海の美しい貝は捕獲して他の環境に移すのではなくそのままの方がよかったかなと思いました。
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No.30
絹のハンカチ(1)
新しいクライアントのS社は外資系医療用具の輸入販売会社です。ITのマネジャーの採用と輸入許可を担当する薬事マネジャーを募集されていると言う案件で会社を訪問しました。 外資系の企業で採用されている「カジュアル」スタイルでM部長もH課長もノーネクタイのカジュアルで迎えてくれました。 わたしも前職では「カジュアル」スタイルでした。私は営業出身なので最初はやはりノーネクタイの「カジュアル」には抵抗がありましたが、一度なれてしまうと暑いだけでなく湿気の高い日本では「カジュアル」もいいものだと思うようになりました。
有名なコンサルティングの会社があの紳士の国、保守的の典型のような英国で「カジュアル」にしたと聞きました。コンサルタントがクライアント(得意先)の銀行にも「ノーネクタイ」で訪問するのです。 それを知っていたある人事総務部長がその会社のコンサルタントを会社に呼びました。 しかし予想に反して全員「カジュアル」ではありませんでした。そこで「あれ、カジュアルではないの?」と聞きましたらその答えは「ここは日本ですから」というものでした。すると日本は英国よりもっと保守的ということでしょうか?(話がそれましたが、)
M部長の応募要項の説明は非常に明確で「はぎれ」のよいものでした。明るいモダンなオフィス、カジュアルのスタイルでさすが業績ものびている元気のある会社だという印象を受けました。 IT、薬事のマネジャーの案件以外にM部長から「営業マン(医療業界ではMRといいます。)も優秀な方がいたら紹介してください。若くて優秀な人でしたら異業種でもかまいません。うちは営業マントレーニングには実績もあり自信をもっていますから」ということでした。
わたしは暑い日にRさんとお会いしました。28歳日本の精密機械の一流メーカーに営業マンとして働いていました。 その若さで早期退職優遇制度に応募され求職活動をされていました。営業マンらしく紺の背広にヘアースタイルも清潔感ただよう若い人にはめずらしく短めでした。しかし営業マン独特のぎらぎらしたところがなくどちらかというと「オットリ」している感じでおとなしい印象でした。
わたしはS社の会社案内と会社概要をみせて説明しました。 人事部長から若い優秀なかたであれば異業種でもかまわないといわれていることも説明し、消費財の精密機械の業種と違いヘルスケア-業界は会社の業績が景気にあまり左右されないし、S社の新しいテクノロジーの製品は日本のドクターにも良く受け入れられていることなど情熱をもって話しました。Rさんにはまだ若いし消費財の営業から医療業界に転進されるのも良い方法でないかとアドバイスしました。Rさんはおとなしい方でしたから後から考えると私のS社の話は「説明」からきっと「説得に」変わっていたと思います。
Rさんの応募の同意をもらった私はS社に紹介したい方がいると連絡しました。残念ながら関東地区は充足しているので新潟県か九州ではどうだろうか?という返事でした。 Rさんは千葉県に住んでいましたが、東京が希望でもし東京が充足していた場合は前職で経験のある神奈川県なら良いという返事でした。経歴書を検討されたH課長は神奈川県担当ということで面接しましょうという事になりました。
私も自分が28歳の時に転職しています。 そのときは外資系の企業で消費財のメーカーでしたが営業経験5年マーケティング1年の経験をもっていました。 自分ではビジネスマンとして一人前と信じていましたがこの歳になり28歳のRさんにお会いすると自分もその当時Rさんのような「汚れていない絹のハンカチ」だったのだろうか?と思いました。
S社にとって「汚れていない絹のハンカチ」のようなRさんの採用には前向きだろうなと想像しました。汚れていないすなわち前職で悪い色にそまっていないRさんはS社の教育により計画通りS社の社員としてどんな色にも染まっていく可能性があると思ったからです。
面接後すぐにH課長から電話がありました。営業の責任者も面接に参加されRさんを「採用したい」「すぐにオファーを出したい」というのです。しかしH課長はRさんの入社に関してあとはヘッドハンターのわたしの腕次第、説得によるというのです。 わたしはたしか最初にM部長とお会いしたときには「優秀な人を推薦、紹介してくれれば説得はうちでするから」とおっしゃっていたはずではなかったかな(?)などと考えましたが「すぐにもオファー(採用条件通知)をだす」というH課長の話に感謝しRさんを説得しようと思いました。
RさんがS社入社をためらう、首を立てにふらない理由があったのです。
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「どうして説得が必要なのですか?」と聞くわたしにH課長は答えてくれました。 「S社の営業社員として外科手術立会いの仕事がある説明をしたら、Rさんは自分には無理だと面接の時にいっていた」というのです。 S社の製品は最新の技術で外科手術に使うものがありそれが主力製品です。外科のドクターに営業訪問の時説明の他、実際外科手術のとき手術着をつけ手術の現場に立ち会うのです。 もちろん手術は外科医がするのですが学術営業として手術に立会いアドバイスが必要の場合はするのです。
外科手術といえばテレビのシーンで見るぐらいで実際に立ち会うことはないしましてや素人では手術場に慣れていない人で気の弱い人は血をみただけで卒倒してしまう事もあると聞いたことがあります。製品を外科医に説明し手術場に立ち会う営業は「ミッシヨナリー(伝導師)セールス」といって高度な営業ですしスペシャリストです。 他社の真似のような製品「ミーツー製品」を接待や価格競争(値引き)だけで販売する営業マンとは格段の違いです。
Rさんを説得するのに実際を知っている人に様子を聞こうとおもいました。前職では私の後輩でこのヘッドハンティングの世界では私の先輩のMさんに聞きました。 Mさんが役員をしているヘッドハンティングの会社はヘルスケア-を得意の分野としていてその業界に特化しています。 MさんだったらこのS社の手術立会い仕事の件を知っていて教えてくれると思いました。
Mさんはやはりよくご存知で簡単明瞭に説明してくれました。それによるとS社のポイントは手術場の立会いにあるのではなく仮採用のあとにある5週間の研修にあるという事でした。 S社の研修施設での5週間の宿泊でのトレーニングは研修後毎日試験が実施され宿泊施設での夜の試験勉強も大変であり中には脱落者もいるとの事でした。確かにS社の採用条件には5週間の研修を終了後正式採用になるとなっていました。
しかしMさんは続けてプラスの面も明言されました。手術場立会いの仕事を前提とした実技研修も十分なされるため優秀な営業マンでこの5週間の研修を無事卒業して病院での営業経験を2年間もすれば、医療器具、用具関連の企業ならたとえS社を辞めどこの会社にいっても十分通用するというものでした。
H課長の業務はいつも迅速です。「こんなに早くだすとRさんは逆に警戒して不安がるかな」といいながらも内定通知と条件を私宛にFAXしてくれました。条件の年俸はRさんの過去実績、希望額からしても大変良い条件でした。わたしはRさんにすぐ連絡をとり自宅宛にFAXをおくりRさんの電話を待ちました。
「内定おめでとうございます!」といいましたが、Rさんに逡巡の気持ちがあることをH課長より聞いていましたので心からの言葉にはなっていなかったと思います。 しかしMさんから聞いていた事をアドバイスしました異業種からの転職に5週間の研修は厳しいでしょうが逆にいうとS社がそれだけ社員の教育に投資してくれているのであり、またS社で2年の営業経験を積めば医療器具業界でどこの企業でも通用するという事は自信をもって伝えました。
「少し考えさせてください」とRさんは力ない声でいわれました。歳も28歳と若く初めての転職であり俗にいう「引く手あまた」で自分の希望する会社に行きたいと思っているのだろうと思いました。こんなときRさんはどうするのかな誰かと相談するのだろうか? Rさんの相談に耳をかたむけ適切なアドバイスをしてくれる人がいるのだろうか? と思いました。
Rさんとは何回かの電話のやりとりが続きましたが結論は「辞退」となりました。Rさんの受けた会社はS社のほかに3社ありました。その中にはリストラを行っている会社もありました。中高年の社員をリストラして若い人を採用する作戦です。その会社にはいって中高年に自分がなった時どうなるのでしょうか? 現在どの会社も同じような事を人事戦略としているのでそんな先の事など考えられないというのが現実でしょうか。
22歳で大学を卒業後、一流会社の精密機械メーカーで営業経験6年そして早期退職制度に応募、独身であるし選択肢はいくらでもあるRさんですが、選択を間違えないでほしいと思いました。ヘッドハンター1年生の私は企業から採用内定と条件が提示されているのに候補者から「辞退」というケースが3例となりました。そのときは「残念」の思いが先でした成功報酬の仕事は成功しなければ「苦労も水の泡」弊社G社長のよく言う「Hard work for nothing!」無報酬になるからです。
しかしヘッドハンティングの経験を積むにつれて「最終意思決定は候補者本人がするのだから」「その方の人生だから」と自然に思うようになりました。純白の絹のハンカチRさんは今後どのような色に染まっていくのでしょうか?
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最適の候補者(1)
8月17日(日)まだ暑い日に新宿のホテルのロビーで上田 賢司(うえだ けんじ)氏(仮名、男性、36歳)とお会いしました。 上田氏から電話があり面談したいと言う事でした。 アイスティーを飲みながら話をお聞きしますと上田氏は転職を考えていると言う事でした。 なにかチャンスがあった場合紹介して欲しいという希望でした。 外資系企業のマーケティングマネジャーだった上田氏の不満は上司の管理の仕方にありました。 まかされたと思ってやっている仕事すべてに上司のディレクターが事細かに指示をだしてくるというものです。 わたしは上田氏の上司が上田氏を高く評価していると聞いていましたので、少し我慢して仕事に励んでいれば将来は上級職に昇進するのではないかとその可能性を聞きました。 上田氏の考えではそれはありえないという返事でした。
上田氏は一流企業に勤務していましたが、長期間かけてマーケティングマネジャーからビジネス マネジャーに昇進しその後ゼネラルマネジャーに昇進するという一般的なキャリアゴールを希望していませんでした。 ビジネスに興味をもっていました上田氏は早い時期に社長の直属の部下で自らの判断でマーケティングの仕事をしたいと意思表示をしました。 その実現には一流企業でなくて小さい組織でも可能性があればチャレンジする用意があるといわれました。 直属の上司の指示で仕事をしているだけでは自分の能力を生かせないばかりか、自分の能力を磨けない少しも進歩がないと厳しく現況を判断していました。 30代の後半は凄いスピードで過ぎてしまう、将来のビジョンを画きそれにむかって努力するのが重要だと思います。 実際それを実現しようとする候補者を目のあたりにして、上田氏の転職にお役に立ちたいという思いがしました。
8月29日(金)知人の斉藤 良(さいとう りょう)氏(仮名、男性49歳)から電話連絡がありました。 採用案件があるのでもし興味があるのなら話をしたいという事でした。 当日は珍しく午前に1件、午後に1件、夕方に1件のアポイントメントが入っていましたが、幸運にも午後の1時半は空いていました。 約束のホテルのロビーにいくと斉藤氏はすでに来ていました。 斉藤氏は組織図をだしマーケティングと営業の案件を私に説明しました。 案件を聞きその場でわたしは上田氏がその組織図のマーケティングマネジャーに適任だと思いました。 小さな組織なのでマーケティングだけでなく営業も管理して機械のサービスも管理するビジネス マネジャーが上田氏ならできるのではないかと思いました。
斉藤氏もマーケティング、営業、機械サービスを管理するビジネス マネジャーのアイディアをもっておりました。 そこで私は上田氏のプロフィルを斉藤氏に話しました。 斉藤氏は上田氏の年俸はどのくらいかと聞かれましたので1200万円前後ではないだろうかと答えました。 斉藤氏は上田氏に興味をもたれました。 斉藤氏は9月1日から米国出張なのでもし上田氏がこの案件に興味があった場合8月31日(日曜日)に会いたいという希望をいわれました。 金曜日に上田氏に案件を説明しもし応募に同意されたら土曜日に斉藤氏に上田氏の経歴書をイーメールで送り日曜日に面接は可能かなと思いました。 しかし随分タイトなスケジュールだとは認識していました。 しかし今までの経験から「トントン拍子」に案件の話が進むときは成約につながるとも思っていました。
斉藤氏とホテルのロビーで別れてからすぐに上田氏の携帯電話に連絡をしてボイスメールに私宛連絡をくれるように依頼しました。 オフィスに帰り入り口の階段を上がろうとしていたとき携帯電話がなりました。 上田氏からの電話でした。 斉藤氏の案件を正確に伝えるため、案件概略を説明した後採用予定会社のホームページのアドレスを上田氏に伝えました。 上田氏の最初の懸念は現職の会社と採用予定の企業が競合関係にないかと言う事でした。 それは上田氏が現在の会社との契約で競合企業には転職しないと合意していたからでした。 採用予定企業のテクノロジーと関連製品は現職の企業のものとは違っていましたし、また顧客も違っていましたのでそこは問題ありませんでした。
上田氏は多忙の中での電話でしたので手短に済ませるためその電話で応募の了解を取り付けるのではなくホームページをみて検討してもらい、翌日の土曜日の午前中に応募するかどうか返事をくれるように依頼しました。 斉藤氏が可能ならば米国出張の前、日曜日の午後5時過ぎに面接希望の意向を上田氏に伝えました。 上田氏も9月1日(月)からはスケジュールがいっぱいでもし興味があったら31日の日曜日の方が自分も都合が良いという返事がありました。 私が会社名をはなし、案件概要を説明した時上田氏の声のトーンが高揚してなく冷静な声でしたので上田氏が興味をもたれるかどうか疑問でしたが、上田氏と短時間で連絡がとれたこと、ホームページを見て検討をするという約束がとれたのでもしかしたらこの案件は成約につながるかなと希望をもちました。
斉藤氏はロジックがしっかりした人でコミュニケーションもうまく優秀な人ですが、上田氏も同じく自分の考え方が明確にある人なので俗に言う「相性はどうかな?」と考えました。 斉藤氏は面接の結果判断は早い人でした。 また上田氏も同様に意思決定の早い人なので二人が会えば答えはすぐでるのだから私が余計なことを考えるのは無用とし、まず上田氏が案件に応募してくれることと、面接が上手く行くことを願いました。
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No.33
最適の候補者(2)
上田氏に連絡した後、自分も採用予定企業のホームページをインターネットで読んでみました。 それは予想以上に良質のホームページでした。 レイアウトも見易く、内容も読みやすく、製品の特徴、優位性が記述されていました。 これだったら上田氏も高い評価をしてこの企業に興味をもち応募を希望してくれるのではないかと期待しました。
30日(土曜日)の朝約束どおり上田氏はわたしの携帯電話に連絡をくれました。 自分の名前をいう上田氏の第一声からわたしは良い感触を受けました。 昨日電話してわたしが案件を説明したときの対応の声と明らかにちがってビジネスマンの張り切った声になっていたからです。 感触どおり上田氏は採用予定企業に興味をもち応募したいというものでした。 そこで私は上田氏の経歴書を斉藤氏に送ってよいという同意を得て斉藤氏の自宅のイーメールアドレスに送りました。
斉藤氏より提案があった31日(日曜日)夕方の5時は約束のホテルのロビーは混雑していました。 上田氏は約束の15分前には来てくれました。 休日にも拘わらず上着とネクタイを着用していました。 最近はカジュアルスタイルで面接を受ける人も多いですが、わたしはやはり面接は上着とネクタイ着用がふさわしいと思っています。
斉藤氏を上田氏に紹介し斉藤氏より会社の説明が始まりました。 上田氏はカバンの中から採用予定企業のホームページのコピーをとりだしました。 ホームページを前もって読んだだけでなく印刷してコピーまで面接の場まで持参した上田氏の準備のよさに感心しました。 またそれは上田氏の応募企業にたいする興味の高さを斉藤氏に伝えるものだと思いました。 斉藤氏の準備の良さも気がつきました。 斉藤氏は全てを上田氏にみせたわけではありませんが、翌日米国出張にいくための資料のなかから説明に必要なページを上田氏にみせながら採用企業の現状と今後の展開を説明したのです。 それらの資料は米国出張先で斉藤氏が使われるのがわかっているものでしたから、生きた材料として上田氏には伝わりました。
企業説明のあと斉藤氏は上田氏個人の質問に移りました。 応募の動機と上田氏が将来やりたい仕事はなにかということが聞かれました。 斉藤氏も何回かの転職をされキャリアを向上させていった経験がありまた30歳代後半がキャリアゴール達成の為に非常に重要な時期にあることを思っておられましたので、斉藤氏は上田氏の解答を良く理解でき同感するようにうなずいていました。 上田氏の現職の職責と実績、前職の時のマーケティングの仕事以外に会社で参加したプロジェクトの内容と実績等の質疑応答が順調にすすみました。 斉藤氏は上田氏の経験の幅や新しいことへの取り組み姿勢等を聞きたいようでそのような質問をされました。
上田氏の回答は常に明解でまわりくどい説明や余計な事柄にふれないものでした。 上田氏の面接に立会い面接を受けるのが上手だと思いました。 面接は1時間以上となりました。 斉藤氏は結論の早い人でしたから面接途中でも候補者に向かって「貴方はうちよりも、もっと組織の整った企業の方が力を発揮されるのではないだろうか?」などといわれる方なのです。1時間以上も面接が継続し会話が弾んでいたので、斉藤氏は上田氏に1次面接合格の答えをすでに出していると感じました。 その後入社できる時期、希望の年俸まで話が進みました。
面接を終わりわたしは上田氏を夕食にさそいました。 面接をどう思われましたか? 斉藤氏のことをどう評価されましたか? という私の質問に対して上田氏は非常に入社に積極的な反応をくれました。 わたしは上田氏が現在の会社の上司に辞表を提出したとき思いもよらないすごい勢いで引き止められた場合転職の決心は変わりませんか? と質問しました。 また今回の転職の件は上田氏の奥様も同意されているのでしょうか?と聞きました。 上田氏はすでに決心されている様子、笑顔でご縁があれば転職したいと答えられました。
翌朝斉藤氏より連絡がありましたので、わたしは上田氏から入社に非常にポジティブな反応があったことを伝えました。 斉藤氏は米国に出張した際上田氏のことを本社で話してくる予定だと言われました。 帰国の予定は9月12日でしたがそれまでに上田氏のリファレンス(上田氏に対する第三者の評価)を取って置いて欲しいという希望がありました。海外出張中でもリファレンスの結果報告をイーメールで送ってほしいよいう希望がありました。 わたしは上田氏の元の上司で、上田氏のメンター(師匠)的存在の方を存知上げていましたのでその方がリファレンスの一人に上田氏から指名されるのではないかと予想していました。
上田氏に斉藤氏からリファレンスの要求があったことを伝え私が上田氏のことを聞く事ができる人を3人教えてくれるよう依頼しました。 もし可能なら上田氏と一緒に勤務したことのある元の上司、同僚、部下が有り難いとお願いしました。 上田氏のリファレンスに関してわたしは上田氏のこれまでの実績を知っているためあまり心配をしていませんでした。 それより斉藤氏が米国よりどんな答えをもって帰ってこられるのかに関心がありました。
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No.34
最適の候補者(3)
斉藤氏は米国出張より帰国されました。本社で上田氏採用の話を社長にされよい感触を得てこられましたが、しかしそれで採用決定とはなりませんでした。米国とのテレビ会議で米国本社のマーケティングディレクターとの2次面接が提案されました。9月19日(金)にテレビ会議が設定されました。斉藤氏の意思決定だけで採用が決定するのではと予想していましたので、米国本社のディレクターとの2次面接とは大変だなという感想をもちました。 電話インタビューも大変ですが、テレビ会議によるインタビューもたとえそれに慣れていても大変だという感じを私はもっていました。
上田氏は仕事上でも海外の本社とテレビ会議の経験はありましたが、テレビカメラのアングルだけの画像だけを相手が見ているという制限があります。またテレビ会議回線のスピードにもよりますが、対話の間にある時間差が時には会話を不自然な流れとします。 知人のコンサルタントはテレビ会議のインタビューのときはシャツ、ジャケットは縞模様を避けるように候補者にアドバイスしています。 それは彼の過去の経験から縞模様はテレビ写りが悪いからというものでした。
大きな机に斉藤氏と上田氏が横並びに並びました。 正面の画面に本社よりの画像が映ります。 右下のモニターには先方が見ているこちらサイドの画像が見られます。 正面のテレビ画面に突然のように米国よりの3人の映像が映りました。 斉藤氏が挨拶のあと上田氏を紹介しました。 本社のマーケティングディレクターは会社の説明を上田氏にはじめました。 若いディレクターだと斉藤氏から聞いていましたが、30歳代の後半で若い感じがしました。 幸運なことに明確な解かりやすい英語で話してくれました。 また彼は暖かい友好的な感じで接してくれました。これだったら上田氏も対話しやすく2次面接も上手く行くのではないかという予感がしました。 わたしの知人で4次面接の時にドイツ人が面接官でわかりにくい英語の上、話が明確でなく対話をしていて「袋小路」に迷い込むような経験をした方がいましたが、それは大変な経験でした。
ディレクターの会社の説明が終わり、上田氏の話す番になりました。 職務経歴書を前もって読んではいるが、上田氏から自己紹介をしてほしいとの事でした。 上田氏はゆっくりした話し方で自己紹介をはじめました。 解かりやすい英語で自分の職歴のポイントを説明しました。 上田氏は前準備はなしで、テレビ会議の面接で自分はぶっつけ本番でいくと話をされていましたが、前もって何回か練習をしたような自己紹介でした。
中長期計画の作成、年間計画の作成、戦略の策定、新製品の発売、市場調査の実施、販売促進策の実施と幅広い職責に短時間のあいだに話が及びました。ディレクターは上田氏の実際関与したマーケティング活動、経験を確認しました。 斉藤氏は上田氏の横にいてあまり発言はしませんでしたが、上田氏が会社の売上金額を米国ドルで説明した時、桁違いに気が付きその場で修正しました。 対話がうまくいっている状況から斉藤氏は余裕があったのか机の上にあった操作パネルをつかい上田氏が話す時に上田氏の顔をズームアップしました。
先方のディレクターは上田氏に何か質問があるかどうか聞かれました。 もちろん上田氏は質問をいくつか用意していました。 どの面接にも共通しますが、候補者の質問を聞いてその内容から候補者を判断する面接官は多いです。 面接に疲れ早く終らせたいと「質問はありません」という候補者もいますがそれは面接にとってNGです。 1時間はあっという間に過ぎました。 本社のディレクターは会議の最後に上田氏にテレビ会議で話せたことを感謝され、面接の結果は後日斉藤氏に伝えるということを表明されテレビ回線を遮断しました。
テレビ会議を終わり、斉藤氏、上田氏とコーヒーを飲みながら面接はどうだったかと小さな反省会をしました。 大きな問題もなく終わり全員「ホット」し私は二人に冗談をいう余裕もありました。
斉藤氏は帰宅されわたしは上田氏と会食をしました。 そこで気になっていた年俸のところを上田氏に質問しますと、先ほどの反省会のおりわたしがコーヒーのカウンターに席を立っていたとき斉藤氏から上田氏に質問があったとのことでした。 上田氏は斉藤氏より1次面接にでてきた金額で良いかどうかと聞かれたので、了解したとの事でした。
翌日米国本社からの面接の結果は斉藤氏に入りませんでした。 上田氏は「なにか懸念することがあったのだろうか?」と心配されました。 わたしはエージェントとして上田氏に「果報は寝て待て」の言葉もありますからと良い結果がくるまで否定的なことは考えずに待ちましょうと提案しました。 上田氏はそれを了解しました。
9月24日に待望のオファーレター(採用内定通知書)が斉藤氏から出ました。 わたしはそのオファーレターをもって新宿のホテルのロビーで上田氏に会いました。 上田氏は愛用のボールペンを取り出しオファー受諾のサインを私の目の前でしました。 わたしはそこで上田氏と固い握手をしながらエージェントとして案件が成約したことに大きな達成感を味わいました。 斉藤氏から案件の説明があってから39日間で成約したこと、斉藤氏の募集案件の条件に上田氏が「最適の候補者」であったこと、そしてなによりも上田氏がキャリアゴール達成のため希望していた職責に採用されたということでした。
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堀切 忠(ほりきり ただし)氏(仮名、46歳)との再会は5年ぶりでした。 日に焼けた顔、太い黒ふちの眼鏡の奥にある丸い目は昔のままでした。 「お久しぶりです。」と親しみのある笑顔で挨拶してくれました。 わたしは「カジュアルの場所でいいですか?」と聞き待ち合わせのホテルのロビーからそう離れていない店に案内しました。
生ビールのグラスをかたむけながら現況をお聞きしました。 堀切氏は今年の年賀状で一流企業のアシスタントマーケティングマネジャーをしていること、仕事は大変忙しいが楽しくやっていることを私に知らせてくれました。 わたしが以前知っていた堀切氏は仕事を熱心、ハードワーカーで直属の上司から認められていたマネジャーでした。 しかし部下の若い女性のプロダクトマネジャーとはいつもぶつかる場面が多くどうもしっくりいかず悩んでいました。 堀切氏がその会社を退職し競合他社に転職した理由の一つはその部下の管理に問題があり努力しても解決できなかったからだと人づてに聞いていました。 その時直属の上司だけでなく営業部長も堀切氏の退職を思いとどまるよう尽力しました。
いまの会社では部下の管理は上手くいっているのだろうか? という私の疑問に答えるように堀切氏は現在の部下の話をまるで自慢話のように熱く語ってくれました。 自分で面接をして新しく部下を採用した時の事を説明してくれました。面接でのその候補者の評価は必ずしも高得点ではなかったが、面接終了時に堀切氏が出した質問にその面接の後文章で迅速に解答を出してきたことで採用を決意していました。 候補者が知らない事は知らないと答え「嘘をつかない人」だと思い、文章での解答にも質問に答えようとする「素直さ」「やる気」を感じたという理由も話してくれました。 現在部下との関係も非常に上手くいっていると推察でき堀切氏の過去5年間でマネージャとしての経験をつまれたと感じました。
わたしは自己紹介のように過去4年の人材紹介業のエージェントとしての活動と経験を堀切氏にはなしその後現在担当しているマーケティングマネジャーの案件を説明しました。 案件概要をワードで簡潔にまとめたものを手渡しながら話しました。それは候補者を前に案件を説明するエージェントでなく久しぶりに会った友人に現在どんな仕事をしているのか報告しているような雰囲気でした。 しかしその案件の企業が輸入販売している製品は堀切氏が就職して以来長年担当していた製品に非常に近いものでした。
案件の企業は日本市場での立ち上げ時であり、日本市場で通用するユニークなテクノロジーと製品をもっています。 今年の冬には新製品の発売も計画しています。 マーケティングの仕事をしていて企業の立ち上げを経験できること、新製品発売を担当することに興味のない人はいません。 堀切氏も興味をもたれたようでした。 その企業のホームページのアドレスを知らせて見てもらうように依頼しました。
話が進むにつれ堀切氏はビールから日本酒へとうつりました。その飲み方、つまみの食べ方を見ていると若さを感じました。日本酒のおかわりを頼むとその店ではお店の人が一升瓶をテーブルまで運んできて升の中にあるコップになみなみと注ぎます。 お酒が強くなったのではないかと感じているわたしに堀切氏は前職の職場の人達がお酒が好きでまた皆さんが強いので知らないうちに教育されましたと笑顔で説明してくれました。
その後いろいろ話すうちに時間も過ぎ、「後日また連絡させてもらいます。 今日は貴重な時間を有難うございました。」というわたしの挨拶でお開きとなりました。 コンピュータをカバンにいれた堀切氏のカバンは重そうでしたが軽々ともち立ち上がりました。
わたしは採用担当の熊谷(くまがや)部長(仮名、51歳、男性)に堀切氏のことを話しました。 熊谷部長はいくつか堀切氏に関する質問を私にした後ですぐに堀切氏と会いたいと意思表示をされました。 いやまだ堀切氏からは御社に応募するという言葉はいただいていないと言う私に熊谷部長は「面接という前提でなく話をさせてもらう」ということでどうだろうか?と提案されました。 外資系の人事部長や社長が応募の意思のない方にも優秀な方だと思った時面談する「ノー コミットメント(入社、採用の約束なし)」「ノー オブリゲーション(入社、採用の義務なし)」の面談の提案でした。
わたしはすぐにイーメールで堀切氏に熊谷部長の提案を伝えました。 堀切氏の返事は「是非お会いしてお話を伺いたい」というものでした。 渋谷にあるホテルのロビーでアポイントメントがとれました。 堀切氏とお会いした時の経緯としては、堀切氏が自分の担当している案件に興味をいだいてくれるといいのだがという期待もありましたが、正直堀切氏がその確率は低いのではと予想していました。
熊谷部長が探していたマーケティングマネジャーは堀切氏より若い人でした。 堀切氏では少しオーバークオリファイ(求めている人の条件より経験、能力がありすぎる。)かなという懸念がありました。 しかし熊谷部長は採用に関してはフットワークが軽く優秀な候補者がいると聞くとどこまでも会いに行くというスタイルでした。 また面談後の判断も早い方でした。
約束の時間15分前にいくとロビーの奥のいすに座っている熊谷部長が見えました。 ラウンジの入り口付近に立ってまっている堀切氏が見えました。
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五年ぶりの再会(その2)
わたしは先ず堀切氏に挨拶し堀切氏を熊谷部長に紹介しました。
ロビーのラウンジで飲み物がでてくるタイミングで私は堀切氏の学生時代の質問をしました。 堀切氏の経歴書を手にしていないので熊谷部長は堀切氏の経歴の詳細を知りませんでした。 そこで私は堀切氏が最終学歴からスタートして自己紹介をしてくれるといいと思い学生時代に何の勉強をされたか質問をしました。 堀切氏は心得ていたように私の質問に答えると熊谷部長に自己紹介するような形で職歴まで要点をまとめて話をしてくれました。
熊谷部長からは会社の説明がありました。 そして求めているマーケティングマネジャーの職責、求めている人物像が説明されました。 堀切氏はあらかじめホームページを勉強して製品のことは勉強されていましたが、今年の冬に紹介される新製品に関して熊谷部長に質問をしました。 部長は製品に関してはあまり詳しくなかったのですが、理解している範囲として説明してくれました。 現在の製品カタログが見せられました。 堀切氏は少しの間そのカタログを貸してくれるように依頼しそれを部長は同意しました。
堀切氏の経歴は熊谷部長の求める候補者の条件を十分満たしていました。 特にこの冬新発売される製品に関しては堀切氏の今までの経験が生かされる事は誰の目からも明らかでした。 マーケティングプランの作成、販売予測、利益予測、経費予算の作成と管理という管理面はもちろん、販売戦略、アクションプランの立案と実行にいたるまで堀切氏に任せられるという考えが熊谷部長に浮かびました。
しばらく面談を続けたあとラウンジからコーフィーショップにうつり軽い食事でもしながら話しましょうと私は提案しました。 熊谷部長はコークで食事でしたが、堀切氏と私は生ビールと食事がセットになっているものを依頼しました。 食事を終えようとしている時、熊谷部長は突然堀切氏に社長の鶴見 篤(つるみ あつし)氏(仮名、56歳)にあってもらえないだろうかと提案しました。 熊谷部長は堀切氏だけに説明するというのでなく私にも同意を求めるようなスタイルでいわれました。 企業立ち上げで人材を求めていたが、自分達が求めていた人に堀切氏がピッタリ適合している。 現在の製品の面倒を見てくれる人がいたらいいと思い探していたが堀切氏ならば現在の製品だけでなくこれから新発売される製品も担当してもらえると明確に考えを述べられました。
堀切氏の同意を得た熊谷部長は我々の目の前で携帯電話をとりだすと鶴見社長に電話をかけられました。 そしてその週の日曜日に渋谷のホテルのロビーで会う約束が交わされました。 この熊谷部長のアクションの早さには驚きました。 また鶴見社長との連携の良さにも驚きました。 立ち上げの会社で小さな組織、これが即決を可能にし話を早く効率よく進められるのでしょうか? 書類選考に時間がかかり1次面接から2次面接の設定までうんざりするほど時間がかかり候補者が自分の採用には興味がないのではないかとあきらめるぐらい採用決定まで時間がかかるケースとはまるで違っていました。
鶴見社長に会う前に堀切氏には経歴書の提出を依頼しました。 エクセルでまとめられた堀切氏の職務経歴書は良くまとまっていました。 熊谷部長より鶴見社長用に特別な経歴書を用意することはなく簡潔に要点だけをまとめたもので結構ですというアドバイスをもらっていました。 堀切氏はそれを忠実に守っていました。
鶴見社長は熊谷氏からの堀切氏に関する説明を聞き、堀切氏の現在の仕事内容を聞きました。 ゆったりとした姿勢でやさしい笑顔をして鶴見社長は堀切氏の答えに静にうなずきながら聞いていました。 堀切氏のマーケティングの苦労話にもマーケティングの仕事を経験していた鶴見社長は自分の体験談も含めて理解を示しました。
熊谷部長、鶴見社長との面接のあと渋谷駅まで私は堀切氏と歩きました。「面接の結果はどうでしたでしょうか?」と堀切氏は私に聞きました。 「今の会社辞められるだろうか?」と独り言のように言われました。 「ノー コミットメント ベース(入社、採用の約束無し)」ということから熊谷部長と面談し採用の話がその後迅速に進んだ事に驚きましたという私に堀切氏はその予感があったという返事でした。
熊谷部長から採用内定通知がありました。 年俸その他の条件が電話で連絡がありました。年俸は堀切氏より聞いていました希望額にほぼとどいていましたので、私は条件に関して心配はしていませんでした。 堀切氏に電話で年俸その他条件を連絡しました。 どんな反応があるかと思いましたが堀切氏からは「大変良い条件で有難うございました。 このたびは大変お世話になりました。」という感謝の言葉がありました。
堀切氏が条件を承諾したと熊谷部長に連絡をしてわたしはそれを基に作成された採用通知書を受け取りました。 堀切氏と会い通知書を手渡しました。 堀切氏は通知書を読みそれをテーブルの隅におきましたそして、承諾のサインは今月の末日までまってほしいと言われました。 その場で受諾のサインをもらえるものと思っていた私はびっくりしました。「エージェントとして月末に受諾のサインをいただけると期待してお待ちしていていいのでしょうか?」と聞いたところ堀切氏は「80%受諾、20%の辞退、です。」と答えられました。ホテルを出て横断歩道で別れるとき堀切氏は私に「どちらに転ぶにしても、今月末日に連絡します」といわれました。 わたしは無言で堀切氏の姿を見送っていました。
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砂金 (その1)
私は広い社長室に案内されました。 大きな机、本棚、クロゼット、時計、絵画と上品に配置され社長の趣味の良さを実感しました。 松本 弘 社長(仮名、男性71歳)は応接セットの長椅子でまっていました私の前にゆっくりと座ると「今回の話は彼からはどのように聞いていますか?」と丁寧な口調で聞かれました。
私は簡単な自己紹介のあと松本社長が「常務取締役を社外から採用しようとしていること、はじめてヘッドハンティング(人材紹介業者)をそれに利用しようとされていること、 信用のおけるところで、成功報酬の条件でよいというエージェントと話をしてみたいということ、」をお聞きしていると答えました。 わたしを松本社長に引き合わせてくれた方はもう少し案件を詳細に話をしてくれていたのですが、「詳細は聞いていない」ことにして松本社長に会うようにとアドバイスしてくれていました。 またその方からは案件をもらえるかどうかは社長と話してからだと聞いていましたので、この面談はエージェントの面接試験だと思って臨んでいました。
社長はいままでの会社の経緯を話しはじめました。 丁寧な解りやすい言葉でゆっくりと社史を話すように説明しました。 それによりますと会社組織が営業、マーケティング主導型の経営から開発・技術をもっと重視するものに変わらなければいけない事。 社長はその方針で過去4年間に社員の中途採用等利用し技術系の社員の数を増やし組織変更を実現してきました。 技術部長の採用もその一例でした。 重要顧客も日本の顧客から米国、ヨーロッパの顧客が増加してきて英語によるコミュニケーションも必要になってきていました。 今回の常務取締役の採用もその組織変革の重要なものでした。 残念ながら社内の人材でこの常務取締役の職責をやれる人はいないというのが社長の判断でした。
成功報酬の条件を話し合い合意しましたが、常務取締役という高い職責で「技術」の経験・能力それにあわせて「英語」によるコミュニケーション能力・経験という難易度の高い案件でしたので、当方に最初の2ヶ月だけ専属エージェントとしてこの案件を委託してもらうことを提案しました。 最初の2ヶ月で当方より良い候補者が紹介できなかったときは他のエージェントにも紹介を依頼していただいて良いというものです。 松本社長はこちらの提案を了解しました。
会社のエレベーターをおり、外にでると私はその会社の高いビルを見上げました。 さあいよいよ新しい仕事が始まる。 難易度の高い案件だがそれだけやりがいもあると思いました。 成功したときにいただける報酬はもちろん大事ですがクライアントが一流企業で、当方の紹介実績になるというのは大変意議あるものだと思いました。 こんなに気持ちが高ぶるのは何年ぶりだろうか? 前職の米国本社に行ったとき日本組織のゼネラルマネジャー(事業部長)に昇進し辞令をもらった時以来かも知れないと思いました。
約束の2ヶ月後に5人の候補者の経歴書をまとめて松本社長に送りました。 2人の候補が「技術」の経験と能力のある方々で3人の候補者はどちらかというと「経営」の経験を重視したものでした。 候補者の選択の中で友人より紹介して頂いた方がいました。 同じ業界で29年の経験をもった岩根 茂 氏〔仮名52歳、男性〕で社長経験者の方です。 わたしがお会いしましたときには紹介者の友人との面談になりましたが、一流大学を卒業した岩根氏は若くして創業し成功されたオーナー社長の経験者でした。 温厚そうな感じでしたが、業界の問題点を的確に指摘された意見を述べられました。 面談ではわたしは用意した常務取締役の案件概要を岩根氏に示し説明しました。 岩根氏からは案件に対する細かい質問もなく面談は終わりました。 そのときわたしは岩根氏に職務経歴書を和文と英文の両方でだしていただくことを依頼しました。 岩根氏はある団体の顧問をされており海外の会議にも出席され英語を使用されていましたので、英語は問題ないであろうと推察しました。
岩根氏から職務経歴書がまもなく届きました。 オーナー社長を長く経験されていてご自分の職務経歴書を書かれたことのないそれは、長い説明文のように書かれたもので松本社長にはそのまま提出するには適さないものでした。 こちらでその職務経歴書を編集しなおすのは躊躇しましたが、岩根氏からはその了解を得られましたので、英文経歴書も編集しなおしました。 友人のスミスにみてもらうと驚いたことに私が簡潔にした部分をさらに簡潔な文章にしてありました。 それを岩根氏に見てもらい了解を得てから松本社長に提出しました。
「会社経営」の経験者2番目の候補者の方永山 和男氏(仮名、男性43歳)は外資系の日本組織のカントリーマネジャーでした。 私との面談は昼食時が過ぎた時間でしたが赤阪見附のホテルのラウンジでお会いし飲み物を注文すると永山氏は昼食をすませてないのでなにか食べてよいかという質問でした。 もちろん私は了解しました。 面談中も携帯電話に重要顧客からまた同じ会社の部下から何本も電話が入りました。 永山氏は私と案件の話しをしながら、昼食をとりながら、電話の受け答えをするという大変な忙しさでした。 永山氏は常務取締役の案件に興味をもたれ、自分は「技術」の経験はないが個人の興味から普通の経営者よりは「技術」に関して知識をもっているということ、 この常務取締役の案件では自分に経験と実績のあるブランドマーケティングで「技術」とあわせて貢献できるのではないかといわれました。 すこし日本人離れした米国の大学院でMBAを取得されている永山氏の若さとビジネス感覚は松本社長にどう受け入れられるだろうか? 松本社長がどう評価されるか興味をおぼえました。
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砂金 (その2)
3人目の候補者はやはり「技術系」というより「経営者」の経験をもつ田中 章男 (たなか あきお)氏(仮名、男性56歳)でした。 田中氏は石油関連の一流企業に勤務されており米国でのビジネス経験がながく、日本に帰国後は経営企画部、事業開発部で活躍されていました。 石油関連だけでなくいろいろな産業とのビジネスの経験をもたれており、新しい事業に短期間で対応できる柔軟性をもった方でした。 私との面談で約束した時間には必ず7分遅れてくる方でした。3回目面談のおり約束の時間を7分過ぎたのでそろそろ来られる時間だとエスカレーターを見下ろしたところ想像どおりかばんを小脇にかかえてエスカレーターを駆け上がってくる田中氏が見えました。 赤ワインが好きで話題の豊富な方であらゆることに積極的でした。 「技術」というポイントでは懸念がありましたが、もし面接のチャンスがあれば、松本社長との面接には話がうまく進展するのではないかと考えていました。
4人目の候補者は「技術系」の方で英国に単身赴任されている堀江 弘(ほりえ ひろし)氏 (仮名、男性61歳)でした。 奥様に電話を差し上げたところすぐに英国より電話をいただきました。 案件を手短に説明し、イーメールで案件詳細を送りました。
堀江氏は案件に興味をもたれましたが、非常に多忙で次回日本に出張で帰国するのは1ヶ月後でそれも日本滞在は短期間を予定していました。 その短期間の間に日本で面接の機会を持てると良いと思いました。 理科系の大学を卒業しメーカーの開発部で勤務経験があり現在は1社目の子会社の英国支社で上級管理職をされていました。一般的にいう腰の低い感じの静かな方で文字どおり英国紳士の話し方、態度が非常に丁寧な方でした。 技術畑の方でしたが、松本社長の求めている技術と経験がすこし違うかという懸念はありました。
5人目の候補者はやはり「技術系」の方でした。 海野 洋一(うみの よういち)氏(仮名、男性46歳)理科系の大学を卒業され日本の製造業で開発の仕事をされた後、米国にてMBAをとられ米国系の企業に10年以上勤務され上級管理職の経験のある方でした。 非常にシャープな感じで40歳代前半にみられる若い感じの方でした。 話しのポイントの把握にスピードがあり余計なことをいわない方でした。 他のエージェントからの紹介でヨーロッパ系企業の日本支社長の案件の話があり進行中とのことでした。
松本社長に職務経歴書を送りしましたのは下記の5名の方々でした。
1. 岩根 茂 氏、52歳、営業畑出身、社長経験者、(現在、会長職)
2. 永山 和男 氏、43歳、営業畑出身、カントリーマネジャー(現職)
3. 田中 章雄 氏、56歳、営業畑出身、事業部長経験者、(現在、自営)
4. 堀江 弘 氏、61歳、技術畑出身、海外子会社社長、(現職)
5. 海野 洋一 氏、46歳、技術畑出身、事業部長経験者、(現在、フリー)
松本社長は書類選考には自分だけでなく専務取締役、技術部長、それに社外重役で外人のコンサルタントにかかわってもらうという計画をもっていました。 書類選考の結果はこちらの期待に反したものでした。 「今回の常務取締役の案件では「開発」「技術」ということから、堀江氏と海野氏のお二人にあわせていただこうかな」という返事でした。 技術系の候補者としか面接しないという明確な姿勢がこのとき初めて良く理解できました。 それに松本社長の「あわせていただこうかな」という表現には厳しい判断をすると堀江氏、海野氏ともに優秀な候補者だと思いますので「是非お会いしたい」という意味合いとも違うのかな(?)とも解釈することも可能でした。
6人目の候補者、清水 英之 (しみず ひでゆき)氏 (仮名、男性56歳)と渋谷のホテルのロビーで会いました。 理科系大学出身、一流製造企業の開発経験、同社米国勤務経験、同社ドイツ勤務経験、同社技術開発部長経験と松本社長の希望されたとおりの経験のある方でした。 清水氏の職務経歴書はまるで今回の常務取締役案件詳細をみながら作文したかのように思えました。 わたしは清水氏にあったときにその感想を正直に伝えました。
「清水さんにお会いできたのは川で砂金を採取していたとき金属盆の底に小さな小石に混ざった金を発見したような気持ちです。」 清水さんはそれを聞き「いや私は金でなく普通の石ですから」と静かに笑いながら答えました。 わたしはさらに続けました。 「でも清水さんと同じようなご経歴をもたれた方は人材市場にそう何人もいないでしょう。」
技術開発に関する知識の浅い私は遠慮なく清水氏に質問をしました。 清水氏は上着からペンをだすと全く素人のわたしに図を書きながら親切に説明してくれました。 日本の話し、米国の話しと聞いていきますとそれに答えながらドイツでの話しを他と比較しながらわかりやすく説明してくれました。
清水氏から職務経歴書を入手しすぐに松本社長に送りました。 松本社長には前もってもう一人の候補者がいますからと連絡ずみでした。 前回の5名の方とちがい経歴書を送った次の日に松本社長から早速電話が入りました。 「清水さんにお会いしたい。」その他いくつかの点を質問された後「清水さんの現在の年俸は? お話した当社の年俸の予算で大丈夫ですか?」という質問がありました。「はい御予算の範囲です。清水さんは仕事の内容は気にされていますが、年俸にはあまりこだわっていないようです。」と清水さんと面談したときの清水さんの答えを伝えました。 一次面接が日本人3名の上級職の方々と二次面接が社外重役(外人)をいれた4名と設定されました。
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砂金 (その3)
清水 英之氏 (仮名 男性56歳)の1次面接は松本社長、専務、そして技術部長の3名により行われました。 わたしは面接結果には楽観していました。 清水氏の経験・能力が松本社長の希望どおりでした。 また清水氏の対話の仕方が駐在をふくめて海外経験が長いにもかかわらず丁寧で日系企業に長く勤務されたチームプレアヤー型でしたので面接者の反感をかうような対応はされないであろうという予想でした。 ただ専務取締役が社長主導型で選抜されてきた候補者の清水氏に予想以上に厳しい点をつけるのではないか?という懸念はありました。
専務取締役は60代前半でした。 専務の部屋にわたしが清水氏をお連れしたときには少し意外な感じがしました。 全てに洗練された松本社長と違い、机の上は書類が雑然と山積みになっており、ロッカーからだして上着を着用され挨拶してくれましたがその上着も手入れの行き届いた社長のものとは随分違っていました。 名刺の出し方もいろいろな名刺を重ねた中から自分の名刺をトランプのカードを扱うような手つきで出してくれました。
結果は想像以上でした。 専務取締役も面接をおわり清水氏に高い評価をくだしていました。 それは清水氏の経験・能力が専務も含めて組織の弱みであった「技術」をおぎないなお清水氏の「英語力」は海外顧客との関係もよりよいコミュニケーションにより強固なものとなるであろうという期待でした。
清水氏もこの案件、技術担当の常務取締役のポジションには高い興味をもたれていました。それは1次面接後も変わりませんでした。 松本社長よりのフィードバックでは「清水さんが本命ですね」というもので、これで採用決定かと思いました。
社外重役のアイザック スティーブンソン(仮名)氏との2次面接になりました。 英語での面接にも清水氏の長期にわたる海外経験でわたしは安心していました。面接後の清水氏に面接の様子を聞きました。 スティーブンソン氏は清水氏が英語でビジネスの文章が書けるかという質問をしたのだが、どうしてそんな質問をしたのだろうかと疑問をもっていました。 松本社長からは清水氏の英語は欧米人と同等ではないが、相手の言うことを理解して十分自分の意見をいえる意思疎通のできるものだと聞きました。
2次面接の後、松本社長から提案がありました。 あと二人の候補、堀江 弘 氏 (仮名、61歳男性、海外子会社社長 (技術の経験あり)と海野 洋一 氏 (仮名 46歳 男性、外資系事業部長経験者 (技術の経験あり)と面接をしたいというものでした。 それはスティーブンソン氏からのアドバイスだったようですが、一人の候補者とだけ面接をしてそれで採用を決定するのは賢明な方法だろうかというものでした。 本命の清水氏で決まりと思っていたのですが、少し予想と違った方向に進み出したようです。スティーブンソン氏の面接での清水氏にたいする評価がどうだったのだろうか、 なにか懸念となる点でもあったのだろうかと思いました。
堀江氏は日本に会議のため帰国された時、無理をして面接の時間を作ってもらいました。一次面接が社長、専務、部長で二次面接が外人の社外重役であることを説明しますと、その選考方法に懸念の表情をされていました。 時間があまりないので一度ですませてほしい、外人の社外重役も面接してほしいという感じでした。
海野氏は現在フリーの立場で求職中でしたので、面接時間はこちらのペースにあわせてくれました。 しかしヨーロッパのある企業とすでに面接を済ませておりその企業の上級管理職に採用内定を近日中にもらうかもしれないといわれていました。 一次面接が日本人だけであることを伝えますと色物のワイシャツでなく白いワイシャツにすれば良かったといわれていました。 海野氏もこの案件には興味をもっていました。 過去の経験と能力がいかせる職責で挑戦的でもありましたが、それと同時に家庭の事情により海外でなく日本で就職したいと考えられていました。
松本社長から返事がありました。 堀江さんの「技術」経験のなかでやはり求められているものが一部なかったというものでした。 一方、海野氏は若く経験が他の候補者に比較して短いが彼の積極性には可能性が感じられるというものでした。 海野氏には2次面接でスティーブンソン氏にあっていただきたいというものでした。 スティーブンソン氏の面接が終わると海野氏からすぐに電話が入りました。 海野氏によるとスティーブンソン氏は気さくで好感がもてる人だったというのです。 そして面接での質問も難しいものはなく自分でも面接は高得点を獲得した自信があるというものでした。
まもなく松本社長から面接後のコメントがはいりました。 松本社長が海野氏に1次面接で感じたようにスティーブンソン氏は2次面接で海野氏を高く評価していました。 海野氏は面接で相手の目を見つめて話しをする。 それは我々日本人が不得意とするところでした。 また松本社長によると海野氏の英語は明確でわかりやすく海野氏の自信とこの案件の職責(ポジション)にたいする海野氏の大きな情熱を感じさせるものだったそうです。 「外人が好む英語の表現を海野氏は知っている」とも松本社長はいっていました。 現職の清水氏と違い現在求職中の海野氏の採用されたいという真剣さが面接で違いを発揮したのでしょうか?
「この時点で清水さんが本命ではなくなりました。」と松本社長は私にいいました。
しかし海野氏にも問題が残されていました。
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砂金 (その4)
本命の清水 英之氏 (仮名、男性56歳、メーカーの技術開発部長)で採用決定かと思われていたものが2次面接でもう一人の候補者の海野 洋一氏 (仮名、男性46歳、外資系事業部長経験者、現在フリー)がスティーブンソン氏の高い評価を得たことから人選が一気に複雑になってきました。
海野 洋一氏の問題点は専務取締役の面接での評価でした。 切れ味するどい言葉使いでしっかりしたロジックをもった面接での対話はスティーブンソン氏からは非常に高い評価を受けましたが、逆に専務取締役からは低い評価となりました。 それは入社後海野氏が会社のほかの社員とうまく折り合っていけるだろうか? いままで会社が発展してきた経緯や社風を理解し生え抜きの社員ともチームプレーができる常務になれるだろうか? 米国でのビジネス経験10年以上、米国でMBA(経営学修士)取得、外資系の企業で自由に事業部を運営してきた海野氏は専務取締役や技術部長の意見にはお構いなく自分のスタイルでしかも猛スピードで突っ走るのではないかという懸念でした。 部長も専務取締役と同じ意見でした。
スティーブンソン氏は専務、部長とは全くの反対意見でした。 海野氏のそのパワーこそ現在の会社をますます発展するのに必要と考えていました。 清水 英之氏の面接と、海野氏の面接と評価の過程で会社での問題点が鮮明に浮き彫りになってしまいました。 それはスティーブンソン氏の考えでは現在の専務取締役ではもう経営をまかせられない、常務取締役の採用ではその専務に代わる人を強く求めていたのです。 スティーブンソン氏からすると専務は英語力、技術力には問題ないが専務としてのリーダーシップが足りないと考えていました。 それは社内だけでなく特に対外的に折衝力、情報収集能力がない、人脈も弱いという評価でした。 それが海野氏の強いリーダーシップや、軽いフットワークで社外に飛び出していくスタイルに大きなポテンシャルを感じていました。 海野氏は歳が46歳と若いが短期間の経験で常務取締役の職責はこなせると信じその意見を松本社長に表明しました。
それでは本命だった清水 裕之氏はスティーブンソン氏の目にはどのように映っていたのでしょうか? 専務と部長の高い評価をうけた清水氏はもし入社すると専務、部長とはうまく行くと考えていました。 しかしそれは会社にとってマイナスだと考えていたのです。専務の考えやスタイルに挑戦して流れを変えるくらいの力のある人を求めていたからです。清水氏は近い将来専務に代わることができないだろうと評価されていました。
松本社長とその話しをする機会のあったわたしは、「専務取締役に代わる強いリーダーシップのある人を求めている」というスティーブンソン氏の考え方はこの案件がスタートした時の常務取締役の求人案件概要(開発・技術力の経験能力、英語によるコミュニケーション能力)にあわせて新たに別な要素を要求しているのではと感じるままにいいました。 松本社長も開発・技術力の経験と能力は海野氏より清水氏のほうが優っていると感じていました。
会社の問題点が浮き彫りにされ、候補者のプラス、マイナスがより明確になった段階で、最終面接を行い結論をだすことになりました。 ここで次のような3通りのシナリオが考えられました。
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清水氏、海野氏のどちらかが常務取締役として採用される。 |
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重役の中で意見が割れてしまったので今回は採用を見送る、どちらも採用されない。
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もし清水氏が常務として採用された場合、海野氏の能力、将来性を考えると採用しないというのは会社の損失である。 そこでもし海野氏が同意すれば開発・技術部長として採用する。 |
いうまでもなく、ヘッドハンター(成功報酬型、人材紹介業)としては2番目のシナリオは歓迎できません。 しかし「採用見送り」というのは実際によくあるケースです。
最終面接を前に清水氏とお会いし、その意気込みをお聞きしました。 清水氏は以前同じ会社に勤務されていた先輩で会社をすでに辞め現在外資系企業の社長をされている方に今回の経緯を話し相談されていました。 その先輩は清水氏のスタイルを熟知していたので、日本人の重役には面接で高い評価をうけながら外人面接には弱いことを想像されていました。 「おれが外人面接に合格する方法を教えてやる。」といわれ多くの貴重なアドバイスを受けていました。 ポイントは「アピール型」の面接を勧められていました。 日本人の古いスタイルのような「わたしの良いところを面接で感じ採用してください。」というのでなく「わたしの経験能力はこれとこれです。御社に貢献できることはこれです。わたしに任せていただければこのようにします。」「即戦力になりお役に立ちます。」というものでした。
わたしが松本社長だったらどのように決定するだろうかと考えました。 「スティーブンソン氏のいうように海野氏を採用して会社に変革をおこし、この機会に一気に新しい会社とする。」方法か? ここは「清水氏を採用して開発・技術と英語によるコミュニケーションの改善と進歩をまずはかり次のステップとして専務の交代を考える。」方法か? 「専務、部長の組とスティーブンソン氏の対立構造が浮き彫りになってしまったので、ここは常務採用をひとまず延期か?」
最終面接が予定通り終わり松本社長から夜に電話が入りました。 JRの駅に向かっていたわたしの携帯にかかってきました。 街の騒音のなかでわたしは大きなビルの方により携帯を両手でかかえるようにし、できるだけ耳をすまして松本社長の結論を聞きました。
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砂金 (その5)
「清水さんに常務をお願いすることにしました。」と松本社長から清水さん内定のお知らせをいただきました。 スチーブンソン氏のおす改革派の海野氏でなく専務と部長のおす清水さんに内定したのだとお聞きしなにかホッとした気持ちとなりました。 松本社長が5年間も取り組んできた組織改革で清水さんを常務で迎えることで完成し会社の次の大きな飛躍のステップにしようというシナリオが理解できたからです。
海野氏を採用した場合はスチーブンソン氏のシナリオで事が運び、その結果海野氏と専務の対立、その他海野氏のとる積極策で組織開発のための人事異動などは組織に大きな波風が立ち、波乱を巻き起こすだろうという懸念がありました。
松本社長からは海野氏を部長として同時に採用する話はありませんでした。 海野氏の気持ちを考えるとがっかりされるだろうと思い複雑な気持ちとなりました。 「清水さんと入社条件の話をすぐにはじめましょう。特にご希望の年俸に関してお話を聞いてください。」という依頼がありました。
松本社長との電話を終えたわたしはすぐに清水氏に電話をいれました。 「松本社長から清水さん内定のお知らせをいただきました。 誠におめでとうございました。 つきましてはご都合の良い折に入社条件につきお話を伺いたいのですが、」の私の話しに「お世話になりました有難うございます。」という清水氏のいつもの落ち着いた声の返事がありました。
「今年の年俸はボーナスもいれてだいたい1900万円です。 2000万円以上いただければ「Happy」です。 1900万円前後でも「Acceptable」です。」という清水さんの意向を松本社長に伝えました。 すると専務と総務部長は1600万円から1700万円を提案しているといわれました。 それは会社の規定の中で上級職給与のバランスを考えてのことでした。 専務が2000万円前後、部長が1400万円前後という実績から常務はその中間でどうだろうかという考えかたでした。
会議室でわたしは松本社長、専務そして総務部長と清水さんの条件に関して会議をもちました。 私は一般論ですがとまえおきして、ヘッドハンティングの場合は候補者が現在1900万円であれば提案はそれを超えるところからスタートではないでしょうか? 好景気のころのような10%−20%アップという好条件は望めないにしましても現在の年俸より少しでも上でないと交渉は困難であると説明しました。
専務の反論は「清水さんの第2の人生論」でした。 一流企業では55歳がその地位で最高位であり清水さんは現在56歳、職責も年俸もこれからは上がらない、下がるだけだというものでした。 うちに入社すれば、役員の任期は原則2年だが実際には65歳定年制度もなく本人がやる気があり健康でさえあれば70歳までだって働ける、給与も一流企業のように年とともに下がることはないという事でした。
わたしと専務のはなしの何回かのやりとりを黙って聞いていた松本社長がタイミングよく1800万円という提案をされました。 専務と総務部長の案より100万円アップを提案されました。 専務と総務部長は明らかに不服そうでしたが、わたしは「落しどころ」かなと感じました。 御社の規定より100万円から200万円高いのですが、現在の清水氏の年俸より100万円低い提案ですということをはなし、年俸以外の細かい条件を話し合った後、会議室を出ました。
清水氏は私から条件を聞くと少しがっかりされたようでしたが、少し考えさせてくださいという返事でした。 入社条件を文書にして清水氏に送りました。 「今回の話はなかったことにして下さい。 辞退いたします。」などと言われたらどうしようかと心配性のわたしは考えました。 しかし「悪いニュース」「不吉なことは」来るまでは考えないというルールに従い私はその弱気な考え方を振り払いました。 年俸よりその会社で何ができるか、やりがいのある仕事ができれば良いという清水さんの言葉にかけました。
結論を知らせてくれる約束時間まえに清水さんから返事がありました。 「今回のお話お受けする事にしました。 いろいろお世話になり有難うございました。」
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茶道 (その1)
福原 秀樹氏 (仮名・43)は1次面接で和田 研也 (仮名・53)社長と会議室で話をしていました。 外資系医療機器輸入企業の立ち上げで和田社長は強いリーダーシップをもった営業部長を求めていました。 強いリーダーシップをもっている営業部長といっても体力と根性だけで営業活動に邁進するタイプでなく同社の医療機器の技術をまた製品の優秀さを医師に説明できる「学術営業」ができる営業部長を求めていました。
わたしの福原氏推薦理由のひとつはそこにありました。 医療器具販売の経験のある福原氏は競合他社の製品との比較に精通し「差別化戦略」を立案・実施することを得意とされ優秀な販売成績をあげて社内で社長賞も獲得されていました。 製品の他社との差別化戦略では学術営業(技術営業)がそのスタイルであると私は思っていました。 和田社長は立ち上げの企業での社長の役目は営業部長が販売しやすい環境・組織作りであると述べられた後、福原氏に質問をしてきました。
1. 営業部長としてどのような販売組織を作りたいか?
2. どのようにして営業部員を採用するか?また教育するか?
3. 営業チームの管理はどのようにおこなうか?
わたしは福原氏の顔をみました。 すぐに答えがでてこないのです。 どうしたのでしょうか? 一番得意とするところなのに、いままで会社で何十年と実施してきたことをそのまま言えば良い答えになるのにと思っていました。 すこし間のあいたところで和田社長はまるで助け舟を福原氏にだすように、「今この場で答えなくても次回お会いした時に考え方を教えていただいてもいいですよ。」と言われました。
1次面接を終えたあと私は福原氏に提案しました。 和田社長に質問された答えを次の2次面接までに考えをまとめて、それを基に話をされるという事です。 福原氏は同意され7日後までに考えをまとめるという事でした。 30度をこす真夏日のつづく暑い日に面接のため大阪から上京してくれた福原氏に感謝しました。 汗かきの福原氏のワイシャツは汗でぬれていました。 東京駅の地下街は混雑していました、新幹線の出発時刻までは時間があまりありませんでしたが、生ビールを飲みながら福原氏が和田社長と面接の時どう感じられたかお聞きしました。 福原氏にはひとつ問題がありました。 今回の案件はもし採用が決まった場合は単身赴任をしなければならないことでした。 お子様が引越しには反対で転校したくなかったからです。
約束の1週間が過ぎました。 和田社長の質問に簡単な文書で答えそれを2次面接で討論しようという予定でした。 「今回の件、辞退したいと思います。」思いがけない言葉が福原氏から聞かれました。 和田社長に提出する解答を考えていた時、「大風呂敷は広げられない」と感じられたようです。 立ち上げの会社で、しかも2次面接ですから自由に自分の考え方を和田社長にぶつけて討論すればよいと私は気軽に考えていたものですが、福原氏にしては気軽にというわけにはいかなかったようです。
福原氏は現職の地区担当の営業マネジャーでしたが、信頼のおける販売代理店の上級職の方に今回の転職の件を相談して「反対」されていました。 その方は福原氏の現在勤務している会社と転職しようとしている会社を比較しその立ち上げの会社に将来性を感じられなかったようです。 またもし福原氏が今回の転職に失敗した場合、福原氏はその後「外資系企業を転々とする」ような結末を予言していました。
現在の企業と立ち上げ企業の将来性の比較、現在の会社での福原氏の立場と将来性と立ち上げ企業に営業部長として参画した場合の将来性とリスク。 答えを出すのは簡単ではありません。 また人生二通りを実際やって比較ができないのが現実です。 ヘッドハンターとしては福原氏を強烈に説得して転職を勧める気持ちもありましたが、和田社長への解答もでてこない状態ではやはり無理かなと思いました。
福原氏はもう一つの懸念がありました。 「大阪から東京への単身赴任では年収が200万円くらい上がらないと現在の年収のレベルを保持できなく住居費等、生活費が持ち出しになる」というものでした。 とにかく面接を進めて、年収の件は和田社長から条件提示がされた時に話し合えばよいのではないかというのが私の考えでしたが、福原氏は立ち上げの小さな組織の和田社長にはそれを出せないのではないかという推測があったようです。
和田社長に福原氏の辞退をお知らせしました。 1次面接で福原氏と話をされていた和田社長は今回の案件に福原氏が前向きではないのではないかと感じられていたようです。 2次面接辞退の知らせをあまり驚いた様子もなく了承されました。
私は福原氏に業界で優秀な候補者の推薦を頼みました。 もちろん福原氏からその方の名前を聞いたことは言わないと言う約束でした。 福原氏は名古屋にいる浅見 克治氏 (仮名・35・男性)の名前を教えてくれました。 「浅い見ると書く、あさみさんです。」「世の中狭い!!」と感じました。 和田社長から私宛にA社のあさみさんと言う人が優秀だと言う情報を入手したのであたってみてほしいという依頼がありました。 わたしは早速A社のホームページを見て名古屋支社の住所と電話番号を入手しました。
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茶道 (その2)
午後2時頃、A社の名古屋事務所に電話をしました。 どんな人が電話にでるだろうか? 浅見 克治(仮名 男性35歳)氏に電話がつながるだろうか? ヘッドハンターが一度も会った事のない候補の方に電話をするのを「コールドコール」といいますが、呼び出し音を聞いている時一番ドキドキする瞬間です。 「浅見さんお願いしたいのですが?」といいますと相手の男性の方は「当社には浅見は複数いますが? どの浅見ですか?」というやりとりがあり判明したのは浅見氏が外出していること、A社の名古屋事務所にかかる電話は東京のオフィスに転送されることでした。 浅見氏から電話をいただけるように当方の電話番号を知らせ伝言お願いしましたが、浅見氏からの電話は結局ありませんでした。
電話で連絡がつかなかったので、A社の名古屋事務所気付浅見氏に親展で手紙をだしました。 当方が人材紹介業で浅見氏に紹介したい案件があるので連絡をいただきたいというお願いの手紙でした。 やはり浅見氏からは連絡はありませんでした。 しかし和田社長から浅見氏へのコンタクトの依頼もあり連絡をつけるのをあきらめることはできませんでした。
月曜日午前9時にA社の名古屋事務所に電話をしました。 営業活動で外出が多い浅見氏も月曜日の午前中は営業会議で事務所に出勤しているのではないかと思いました。 残念ながらまた東京の事務所に転送されました。 女性の社員が電話にでました。 こちらは業者の者ですと名乗り浅見氏からの電話を依頼しました。 その女性は当方が医療器具の販売業者と思われたのではないかと想像しました。
「電話をいただきましたA社の浅見ですが、失礼ですが御社のことは存知あげませんが」という電話が浅見氏から入りました。 出張先の岐阜からの電話です。 わたしは電話のお礼をいうと単刀直入に名乗りB社の名前と営業部長の案件を説明し詳細を説明したいと言う理由で面談を提案しました。 幸運なことに浅見氏はA社のことを知っていました。営業部長という職責にも興味をもたれた様子でした。 今度の土曜日にJR名古屋駅のそばにあるホテルのロビーであう約束ができました。
和田社長から電話がありました。 わたしが浅見氏との面談の約束がとれたことを聞くと自分も同席して会社の話しを浅見氏に説明したいといわれました。 まだ浅見氏から応募の意思表示もなく、経歴書も預かっていない段階ですから名古屋までご足労いただいても無駄足になる可能性もあることを説明しました。 しかし和田社長は私と同行したいといわれました。 わたしは和田社長の希望を浅見氏に事前に話し面談の了解をえました。
約束の時間より余裕をもってホテルのラウンジにいくと、和田社長はすでに来てなにかの書類に目をとうしていました。 浅見氏がまだ来ていないのでコーフィーショップに二人でいきました。 店の奥の窓際で他のテーブルから離れている場所に案内されました。 この場所だったら浅見氏があとから来ても落ち着いて話ができると思いました。 約束の時間に私はひとりでロビーまでもどり浅見氏をまちました。 約束の時間に浅見氏の携帯電話をかけました。 すると私からそれほど離れていないところに携帯電話をもって話しをしている男性を見つけました。同時に浅見氏もわたしのことがわかり携帯電話をしまいながらおたがいに近づき挨拶をしました。
浅見氏は想像より見たところ若く、色白で細面の人でした。 目がやさしく営業マネジャーにしてはやさしい雰囲気をもった人だと感じました。 面談の機会をくれたことにお礼をいい、コーフィーショップですでに和田社長が待たれていることをいい、今回案件を我々から聞いたからと言って絶対入社してもらわなければならないことはなく、同時に和田社長に今日面談したからといって入社を保証されているわけではないことを説明しました。浅見氏はそれを了解されました。
和田社長との名刺の交換のあと、まず和田社長から米国本社のはなし、今回の日本での輸入販売組織の立ち上げのはなしが始まりました。 飲み物を注文し軽食もたのみました。浅見氏は大忙しで軽食を食べる間もありませんでした。 和田社長が話しているときわたしは軽食をとり、わたしが話しているときは和田社長が軽食をとり浅見氏は一人で二人を相手にし、その二人は休みなく話し続けまた質問もしました。 こちら二人の熱気は伝わったと思いますが、浅見氏は飲み物や軽食も手付かずの状態ですこし気の毒でした。
浅見氏からの話しを総合するとA社の案件に最適でした。 浅見氏はすでにマネジャー職にありましたが営業部長職をとれる経験と能力をもち今回の案件は実に良いタイミングだと思いました。 浅見氏の現職は必ずしもやさしい環境ではないと思えました。 強い競合他社との戦いに十分でないと想像されるサポートで善戦をされていました。 次回は東京で面談しましょうという約束ができ浅見氏とはわかれました。 次回お会いする前に経歴書を送ってもらうように依頼しました。
新幹線の切符売り場で切符を買っていたとき、和田社長は私のほうをみて「福島さん、今回はごっつあんゴールだね。」と笑いながらいわれました。 サッカーの試合で幸運だけで上げられたゴールのことをそういう表現を使うことは知っていましたが、和田社長が浅見氏に高い点数をつけられたのが感じられました。
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茶道 (その3)
A社の和田社長との面接の日、面接の前に浅見氏と東京駅の近くで待ち合わせました。 前回は仕事の話が中心でしたので浅見氏の趣味など聞きどのような人柄か知りたいと思いました。 人材紹介の業者にたいする講習会では候補者に仕事に関係のない個人的なことは聞いてはいけないといわれます。 戸籍、家族構成など従来の履歴書では当然のこととなっていましたが、現在では仕事に関係のないことは聞いてはいけないとされています。 採用企業の面接担当官のなかにも聞いてはいけないことを平気で聞く人もいます。 女性の独身の候補者に結婚の予定を面接で質問し不快感をもたれた人の例がありました。米国では履歴書に年齢も記入しませんしまた候補者の写真の添付もありません。
浅見氏は茶道を10年以上続けていました。 先生は高齢の女性ですが茶道の教室で「人の道」も茶道のお作法といっしょに教えています。 教科書は先生の手作りで1回に2枚から3枚のものでしたが、その話をした後でその教科書を生徒に配布していました。 「その教科書は貴重なものですね?」と聞くわたしに浅見氏は全て保存しておりその圧さは20センチ程になっているとの事でした。 茶道に興味をもち修行を重ね今では人に教えるほどになっていること、学生からビジネスマンになったあとも茶道を続けている浅見氏は一つの事を継続していました。 初対面の時、浅見氏の目がやさしいと感じたのはもしかするとこの茶道が影響しているのかと勝手に思いました。 そして浅見氏の話し方、考え方、態度などが茶道と茶道の先生の影響を深く受けているのではないかと推察しました。 また浅見氏は一つの事を継続する力がある意思の固い性格を持っていると信じました。
和田社長はA社の組織図を浅見氏に見せました。 米国本社との会議用に和田社長が作成し人事戦略・採用に関して本社の承認を得たものだと思いました。 営業、マーケティング、サービス、管理部とわかりやすい組織図でした。 浅見氏は問題なく理解されたと思いました。 また和田社長は会社の社是・経営方針をパワーポイントで作成したスライドで浅見氏に説明しました。 どのポイントも外資系企業らしく明確でしたが、営業部長の浅見氏にとっては、「全ての社員に生産性向上と結果が要求される」(営業は営業目標を達成する事が求められる)という項目が目に焼きついたと思いました。
和田社長が前の候補者、福原秀樹氏に聞いた同じ質問を浅見氏にしました。
1. 営業部長としてどのような販売組織をつくりたいか?
2. 営業部員をどのように採用し、どのように教育するか?
3. どのように販売組織を管理するか?
浅見氏はまるで質問をあらかじめ知っていたかのようにスムースに答えました。 福原氏が答えにつまった様子と違い浅見氏の営業部長としてのポテンシャルが強く感じられました。
和田社長は管理部長、マーケティングマネジャー、サービスマネジャーの浅見氏の面接を組みました。東京駅のレストランで浅見氏の面接後の感想を聞きました。 浅見氏はこのA社の案件に前向きでした。 社長をはじめ面接した会社のマネジャーに好感をもっていました。 浅見氏と別れた後A社への転職に浅見氏が前向きであることを和田社長に駅のホームから電話で伝えました。 和田社長は各マネジャーとの面接を終えて浅見氏が入社にたいして前向きな考えをもっていることを歓迎し弾んだ声で私の電話に対応しました。
そして和田社長は最後に米国本社の人とのテレビ面接を組みました。 浅見氏にとっては米国の人との面接は英語のことを考えると高いハードルだと思いました。 浅見氏はTOEICの点数は600点代の後半でしたが、 わたしは和田社長に通訳をお願いするスタイルの面接でなく、面接の対話に本当に困るまでは自分の英語で最後まで行う事を提案しました。 都合の良い時だけ自分の英語で話し、都合の悪い時は和田社長に通訳をお願いするスタイルでは、面接で浅見氏の真価がでないのではと思いました。 浅見氏は私の提案に賛成しました。
米国本社とのテレビ会議を終えた浅見氏に感想を聞きました。 自分の英語力ではもう少し上手くできると思っていたとその出来には満足していませんでした。 話している時に上手な英語を話そう、上手い表現をする単語を探そうとそのことに懸命で、その結果面接での対話は上手くいかなかった。 自分は「ええ格好しい」なのだろうかと反省していました。 しかしわたしは面接の結果に悲観していませんでした。 それは面接に出席して浅見氏の英語での対話を脇で聞いていた和田社長が「浅見氏は一人で米国出張しても自分でなんとか仕事をこなしてくることが出来る。」といわれたからです。 もし面接に合格し入社された場合トレーニングや会議で早いうちに営業部長として米国本社にいくことができると思いました。 それは若い浅見氏にとって能力向上には最良の方法であると思いました。 米国本社ではCEO,マーケティングマネジャー、セールスマネジャーをはじめ優秀な大勢の人達と会う事が出来る、それが勉強になると思いました。
米国とのテレビ面接のあった後、和田社長からすぐに合否の結果が知らされると予想していましたが、予定日を過ぎても和田社長からの連絡がありません。 心配性の私にまたいつもの弱気がでて来ました。 米国とのテレビ面接をわたしは少し甘く考えていたのではなかったのか? 和田社長に面接の通訳をお願いし浅見氏と米国面接官達との対話がスムースにいき良い雰囲気で面接が完了することが必要ではなかったか? 日本では英語の上手な営業部長を探すのは大変な事だからとこちらで勝手に考えていなかっただろうか?米国企業では海外の営業部長が英語を話すのはあたりまえの事だから。
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茶道 (その4)
浅見氏の米国本社とのテレビインタビューが終わり、浅見氏は会議室を退出しました。会議室に残った和田社長は米国の面接チームと会議に入りました。 米国のチームの浅見氏に対する評価は和田社長が想像したものより厳しいものでした。 浅見氏は機器の販売には経験が豊富だが消耗品の販売経験、能力はどうだろうか? 日本全国をカバーして6名から12名の営業部員を管理する能力はどうだろうか? 面接での対話では浅見氏の積極性がこちら米国側によく伝わってこなかったが、かれのリーダーシップには問題ないだろうか? 浅見氏は市場で企業名が確立した企業で勤務経験が長いが、立ち上げの会社で力を発揮できるだろうか?
和田社長は「あなた方は浅見氏のことをわかっていない!」と大きな声で反論したい気持ちをぐっとこらえました。 一呼吸おいてから和田社長は浅見氏の営業部長としての大きなポテンシャルを説明しました。 浅見氏の勤務していた会社の日本での地位は米国と比較すると弱く、日本での上級職の短期間での交代、それにともなう中間管理職の辞職等で浅見氏は会社のサポートの少ないところで強い競合会社と戦い、部下を育て善戦し販売実績を上げてきました。 その営業活動における浅見氏のフットワークの良さは末端顧客での医療機器購入の情報入手の早さで証明されていました。 一般的には販売代理店の営業部員のほうがメーカーの営業部員より医局への訪問回数は多くドクターからのニーズ、機器購入予算の獲得動向、病院での機器採用優先順位情報等の把握は良かったからです。 その点で販売代理店の社長や営業部長から浅見氏は一目おかれていました。 和田社長の浅見氏に対する情報入手は豊富でそれをゆっくりとした確信をもった口調で米国のチームに一つ一つ丁寧に説明しましたので、米国チームのメンバーは和田社長は浅見氏のポテンシャルにかなりの自信をもっていると感じおもわず顔を見合わせました。
もう一人の候補者、坂村 義道氏(仮名・男性44歳)と浅見氏を比較するとどうだろうか? 坂村氏に高い評価を与えている米国の営業部長のデービットが論点を変えてきました。 和田社長も内心はそれでなやんでいました。 浅見氏を推薦する一方で実は浅見氏か、坂村氏か自分の好みは別にして会社の判断ではどちらが正解だろうか?と和田社長自身もまよっていました。 坂村氏は医療用具、 医療材料の輸入販売企業で営業部長の経験がありました。 浅見氏より10歳も年上で営業経験、営業組織の管理経験も豊富でした。 和田社長は二人の候補者を米国のチームに紹介した時からその点を考えていました。 将来のポテンシャルの浅見氏を選ぶか、経験豊富な坂村氏を選ぶかでした。 会社は近い将来機械を新発売する予定がありました。 この機械の販売に関しては逆に坂村氏より浅見氏の方が経験豊富でした。 この場で結論を急がない方が賢明だもう一度検討しようと考えていた和田社長に米国側よりタイミングよく助け舟がでました。 米国の事業本部長ジェフより和田社長が来週出張で米国本社にきた時もう一度話をしようと提案してくれたのでした。
米国出張での和田社長は体調をいつも気をつけていましたので時差ぼけもなく快調でした。 テニスにジョギングにと体を動かす事にも時間をかけストレス解消もうまく管理していました。 朝食もビュッフェスタイルのところで、パン、卵、ソーセージ、果物と若い人と同じように十分とっています。 新聞に目をやりながら朝食をとっていた和田社長のテーブルに米国の事業本部長のジェフが朝の挨拶をしながら来ました。 ジェフは研究開発部の出身で背は米国人にしては低いほうでした。 会議では常に大きな声で討議をリードし会議中に和田社長を指名してこの件に関して和田社長はどう考えるのかと意見を聞くこともいつもの事でした。 和田社長はそれを予想して自分の意見を常に用意していました。
朝食後始まる会議の前に浅見氏か坂村氏かの選択の話を事業本部長のジェフに聞くよい機会と思った和田社長は単刀直入にジェフの意見を聞きました。 ジェフは和田社長がどちらを採用したいかとその理由をまず聞き、和田社長が採用したいほうにすれば良いとあっさり答えました。 それは和田社長が想像していたよりあっさりしたものでした。 ジェフは日本市場のオペレーションは和田社長が全責任をもっており和田社長が採用した人を自分は支持すると明言しました。 前回浅見氏の面接後のテレビ会議では世界戦略会議の他のメンバー特に営業部長のデービットは坂村氏の方に良い点数をつけているように思えたがというと、ジェフはデービットの選択は坂村氏であろうと思うといいました。 メンバーとしては議論を通して選択のポイントはなにかということを明確にして結論をだそうとしたのであり、デービットも和田社長に坂村氏を採用するように迫ったのではないといいました。
「若い会社で若い人の組織でやっていこう」と思っていた和田社長は浅見氏にしようとその時決意しました。 坂村氏のいままでの転職回数が多いのも実は和田社長は気になっていました。 立ち上げの会社で営業部長が短期間で変わるのは他の社員特に若い営業部員のためにも、顧客である医療器具販売代理店との協力関係にも良くない影響を与えるからです。
結果をまっていました私に和田社長から電話がきました。 「結論を出すのに予想よりかかって迷惑をかけましたが、浅見さんに営業部長をお願いすることに決定しました。 オファーレターの案を用意したので送ります、浅見さんと検討して返事をください。」 私は早速条件を見ました。 年俸は浅見さんの期待する額より少し低かったですが、名古屋から東京にくる引越し支度金また住宅手当となる借り上げ社宅にたいする会社からの補助を計算すると魅力ある案となっていました。
浅見氏からはオファー受諾の知らせを間もなく受け取りました。 (「茶道」完)
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